ふたご座
落ち着きを求めて
母なる圧
今週のふたご座は、『駆け回る子に夏帽で蓋をする』(西山ゆりこ)という句のごとし。あるいは、自分をやすらかに閉じていこうとするような星回り。
「蓋をする」で笑ってしまう一句。駆け回ってはとどまることを知らない子が、そばを通りすぎるタイミングを見計らって、母は子に帽子をかぶせる。そのとき、子どもはむぎゅっと縮んで母の圧を感じるのです。
どこか「バックスバニー」や「トムとジェリー」のような昔のカートゥーンアニメを彷彿とさせる一幕ですが、これはある意味で自我感覚と触覚の協奏とも言えます。
自分を環境の中で強く主張しようとする自我にとって、触覚というのは、それが働く領域においてみずからが(皮膚に)閉じ込められており、何かに当たるとぶつかり、通り抜け、突き抜けることができずにそこで止まらざるを得ないのだということを感じさせます。
しかしそれは否定的な体験ではなく、むしろどこまでも無意識のうちに広がっていってしまう自我にとって、あなたはここにいるよ、と教えてくれる大切な“しるし”であり、さながら視覚障碍者にとっての白杖のような、自分がどこにいるかを自覚する上で、なくてはならない“呼び水”のような体験なのではないでしょうか。
その意味で、6月21日にふたご座から数えて「愛着」を意味する2番目のかに座に太陽が入る夏至を迎えていく今週のあなたもまた、掲句の子のように、安心してぶつかり、そこで止まらざるを得ないのだと観念できるような触覚体験を求めていくことがテーマとなっていきそうです(あるいは逆に、母のように…)。
創造する肉体
曹洞宗の開祖で禅思想の極みのひとりである道元の言行を伝える『正法眼蔵随聞記』には、「仏道を得るには頭や言葉で得るか、からだで得るか」という命題が繰り返し登場しますが、これこそまさに今週のふたご座の人たちのテーマでもあるのだと言えるでしょう。
つまり、自我や意識(「われ」)というのは絶えず、物事や人生の意味や目的を問うけれど、その際に感じる苦痛や快感、ひいては満足や堕落といった概念を創り出しているのは誰なのか。それは「われ」ではなく、その背後にある「自己」であり、すなわち理性や精神ではなく肉体なのではないでしょうか。
というのも、腑に落ち、身に覚えのあることだけが、「自己」ないし意志の直接的な代弁者として「われ」の喜びや満足をほのかに創り出していくのであって、決してその逆ではないから。
その意味で今週のふたご座は、「われ」がだんだん消えていくなかで、逆にだんだんと強まっていく意志や確信を直接的に感じていくことができるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
「われ」と「自己」の比率の調整