ふたご座
甘美な夢の喪失
農耕民のつとめ
今週のふたご座は、『もう勤めなくていいと桜咲く』(今瀬剛一)という句のごとし。あるいは、降りかかる空白や余白と丁寧に対峙していこうとするような星回り。
前書きには「退職」とあります。作者は長年高校で教鞭を振るってきた人であり、咲いている桜を観つつも、どこかで「もう勤めなくていい」という内面の声を聞いたのでしょう。
新入生の明るい表情とは対照的な退職者の翳りや寂しさを感じさせる一句ですが、作者の個人的な文脈を離れて、「勤める」ということの意味を考えてみたいと思います。
漢文学者の白川静によれば、「勤」という字はもともと「農耕につとめて飢饉を免れようと努力すること」をいい、また「飢饉のときに雨乞いをしても雨を降らせることのできなかった巫祝(神に仕える人)が両手を縛られたまま焼き殺される」形でもあったのだそう。当然その背景には、税として納める年貢米の過酷な取り立てにあってきた民衆の苦難の歴史が横たわっている訳で、その意味で「勤める」という言葉には、社会の底辺から支えながらも特定の土地に縛り付けられて生きてこざるを得なかった人びとの血と汗と涙がしみついているのだとも言えます。
ここでもういちど掲句を見直してみると、いささか古めかしさを感じはすれど、単に苦役から解放された喜びばかりでなく、ある種の鎮魂への祈りや、生き延びてしまった者の戸惑いが見え隠れしているようにも感じられてきます。
同様に、4月13日にふたご座から「1つの到達点」を意味する10番目のうお座で木星と海王星が重なっていく今週のあなたもまた、知らず知らずのうちに自身の両肩にのせてきた重荷をおろしていくことになっていくかも知れません。
覚醒という呪いを引き受ける
自分の足でたつ。それは人類ないし個人の精神的進歩の象徴をする出来事であり姿勢であると同時に、かつて他の誰か何かにもたれあい、よりかかりあって生きていた頃の甘美な夢の喪失であり、ある種の呪いに他ならないのだとも言えます。
臨床心理学者の霜山徳爾は、それゆえに人は「直立のたえがたい孤独から救う」ものを常に求めているのだと述べており、それは「地に足つける」ことへの拒否から生ずる「浮遊感」や「ふわふわ」とした夢見心地の中で補償的に経験されているのだとも述べています。
例えば、大地から離れて風まかせに宙を飛び、流れにまかせて水中を漂うといった状況でさえ、そこには他の誰かに寄りかかったり、ささえあったりして自身の存在のちっぽけさや心許なさを慰め合っているときほどの充足感はとても感じられません。
ことほどさように、人間/自分という存在もまた、結局どこまでいってもやっぱり孤独なのだということを、今週のふたご座は図らずも痛感していくことになるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
ヴェールを脱いで、目をあける