ふたご座
すすんで迷子になってみる
バビロニア的なるもの
今週のふたご座は、バベルの塔の崩壊のごとし。あるいは、無意識的な隷従からの脱出を図っていこうとするような星回り。
聖書の創世記には、人間がバビロニアに巨大な塔を建てると、人びとが次々と集まってきて、そこが世界の中心になるものの、ほどなくしてトラブルが相次ぎ、町は壊れ、塔の工事は途中でストップし、神の意志でそのまま廃墟と化してしまったという物語があります。それはなぜか。
「彼らは1つの民で、皆1つの言葉で話しているから」。そのために、彼らは「れんがを作り、それを焼こう」と話し合い、天まで届く塔のある町をつくろうなどと不届きなことを考えるようになっていった。だから、神は「彼らの言葉を混乱(バラル)させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と介入したのだと。
当時のイスラエルでは家は石で作られていましたから、たった1つの言語で世界をまとめ、「れんが」で作ろうというのは、いわば伝統的なやり方を放棄して、非常に強大だったバビロニア帝国の方式に従うという意味であり、現代でいうグローバリゼーションにみずから迎合し、隷従していくということでもあります。
2001年のアメリカ同時多発テロで世界貿易センタービルのツインタワーがテロリストたちに狙われたのも、「これこそ現代のバビロニアの象徴だ」という理解が根底にあったからとも言われており、それはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の土壌で育った人たち共通の含意だったのです。
同様に、3月21日にふたご座から数えて「ぜんぜん自分が統制できない環境」を意味する11番目の星座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていくあなたもまた、いつのまにか自分の中に入り込んでいた“バビロニア的なるもの”に気付けるかが問われていくでしょう。
真面目さという罠
例えば、箸と橋は同じハシという音でもまったく別ものです。ただ一方で、音で繋がっているというだけでも、そこには「箸」というものがただ食事の際に使われる長さ数10センチの棒状の物体に過ぎないという機能的役割から解放され、自由になっていく可能性が開けているのであり、その自由が人の心を救うことだってあるのではないでしょうか。
何を荒唐無稽なことを、と思うかも知れませんが、それだけ人間の「真面目さ」というものが怖いものだということを伝えたかったのです。これは、私たち現代人がからだから力を抜くのがどうにも下手で、窮地に陥るほどに力を入れてますます頑張ろうとしてしまうこととも似ているかも知れません。
「自分は真面目にやっているのだから大丈夫」が、「真面目にやっているのにどうして」に変わってきても、自分のやっていることをまだ自分の中だけに納めているうちは、なかなか真面目さというのは手放せないものです。ですが、自分が真面目にやっていることが、全然違うところで適当にやっている(ように見える)人たちと大して変わらないじゃないか、ということになってくると、途端に真面目さは壊れてくる。
なんだか自分が滑稽で、笑えてくる。この滑稽さということが大本になって、自分の中で地滑りが起きて、それが結果的にこころや身体を自由にしていく。今週のふたご座は、そうした意味での滑稽味というのを、いつもより少し高い場所にたって味わっていくことができるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
いつもなら行かない場所や、身を置かない文脈へと足を延ばしてみる