ふたご座
息継ぎの練習を
厳かな気分転換
今週のふたご座は、「ひとつの息の転換」のごとし。あるいは、日常のことばの息苦しさから不意に救われていくような星回り。
ドイツ系ユダヤ人の詩人パウル・ツェラン(1920~70)は、かつて「詩―それはひとつの息の転換なのかもしれません。おそらく詩は道を―芸術の道をも―こうした息の転換のために進むのではないでしょうか」と述べていたことがありましたが、これはことばというものが真に詩的に用いられるとき、人はそれによって日常の息苦しさから救われていくのだという明快な真実を端的にあらわしてくれています。
例えば、人間という生き物の思考の様相について、ゴッホの「星月夜」に着想を得て、「糸の太陽たち/灰暗色の荒野の上方に/樹木の/高さの/思考が/光の音律をかき鳴らす」と書き、また終わってしまった愛の時間について「ぼくは咲き終わった時刻の喪章につつまれて立ち」と表現するツェランの詩行を追っていくとき。私たちはみずからの生きる現実までもが、ひとつひとつ日常を離れて“異語”として組み替えられ、新鮮さを伴ってこちらに迫ってくるさまに、改めて目を見開かされていくはず。
そしてそれは、現代社会に氾濫することばの、がまんできない軽々しさ、まずしさの対極にあるものという風にも言えるのではないでしょうか。
同様に、25日にふたご座から数えて「生きづらさの調整」を意味する6番目のさそり座で下弦の月を迎えて行く今週のあなたもまた、そうした意味での「息の転換」に身を任せてみるべし。
「浮き」を求めて
人生は長い自問自答、「わたしが」と「わたしを」が熱中している対話のようなものと言えるかも知れません。何を見ても、誰と会っていたとしても、私たちは心の中で彼らの会話を聞き続けているし、逆に言えば彼らの会話以外のものをほとんど聞いていないのです。
でもだからこそ、私たちは人生の半ばを迎えると、彼らの対話が深い奈落の底に沈み込んでしまわぬように、そこへ割って入ってくれる「浮き」のような存在を自然と求めていくのだとも言えます。ニーチェならそれを「ひとりの友」と呼んだことでしょう。
今のあなたには、そんな「ひとりの友」はいるでしょうか?あるいは、相手の奴隷でもなければ専制君主でもなく、傍らにある純粋な孤独であり、透徹したまなざしであるところの者に、あなた自身はなり得ているでしょうか?
どうも今週のふたご座は、そうした関わり方を改めて確かめたり、見極めたりしていく期間となっていきそうです。
ふたご座の今週のキーワード
自己内対話が深い奈落の底に沈み込んでしまわぬように