ふたご座
社会と世界のはざまにあるもの
存在様態の自己表明
今週のふたご座は、九鬼周造にとっての「いき」という言葉のごとし。あるいは、自身に運命づけられた言葉を掘り出していこうとするような星回り。
哲学者の九鬼周造は、
「いき」の構造」において、言語と文化の関係をめぐって、「例えば、esprit(エスプリ)という意味はフランス国民の性情と歴史全体とを反映している」と指摘し、ゆえにespritに対応するものを他言語の語彙にうちに求めても「全然同様のものは見い出しえない
のだと述べています。
その前提にあったのは、「言語は、一民族の過去および現在の存在様態の自己表明、歴史を有する特殊の文化の自己開示に他ならない」という考えでした。そうして、九鬼は「「いき」とは東洋文化の、否、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つである」という観点から、江戸町人文化へ分け入りつつ「いき」とう言葉の奥行きや多面性を明らかにしていく。
もちろん、九鬼のこの考えには、「大和民族」がどこまでを指すのかという問題がありますが、「いき」という一つの言葉を「色気」「垢抜け」「意気地」「さっぱり」「諦め」など他の無数の言葉に置換えながら、そうした連関の全体を見渡していく作業のなかで、その言葉の背景に広がる数多くの人々の「生活のかたち」を輪郭づけていく手腕の鮮やかさは見事という他ありません。
今では「いき」という言葉自体はもはや日常ではほとんど使われず、死語と化しつつありますが、それに代わる言葉を模索していくことは、ある意味で自身もその一部である文化や生活の輪郭を具体的に浮き彫りにしていく試みでもあるのではないでしょうか。
13日にふたご座から数えて「離れられないもの」を意味する8番目のやぎ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身が「存在様態の自己表明」をしていくなら、どんな言葉のうちにそれを見い出しえるか、ひとつ考えてみるといいでしょう。
鈴木大拙の「悲」
禅を世界的に広めた鈴木大拙は、かつて宗教の役割を「力の争いによる人間全滅の悲運」から人類を救うことにあるとし、知識や技術(智)の世界の外に慈悲の世界があることを忘れた現代人を批判しましたが、ではその「慈悲」とはどこか遠い彼方からやってくる奇跡のようなものかと言うと、大拙はそうではないのだと述べています。
いわく、「智は悲によつてその力をもつのだといふことに気が付かなくてはならぬ。本当の自由はここから生まれて出る。(……)少し考へてみて、今日の世界に悲―大悲―があるかどうか、見て欲しいものである。お互ひに猜疑の雲につつまれてゐては、明るい光明が見られぬにきまつてゐるではないか」と。
こうした意味での「悲」とは、おそらくそれぞれの「生活のかたち」やそれに基づく存在様態の自己表明の背後に潜んであるものなのではないでしょうか。今週のふたご座もまた自分の「智」の外にありながらも、内なる智を支えているような何かということを、自分なりに感じてみるべし。
ふたご座の今週のキーワード
淋しさの先にあるもの