ふたご座
火中の蟋蟀のごとくあれ!
「強く反り」
今週のふたご座は、「蟋蟀や火の中のもの強く反り」(宇佐美魚目)という句のごとし。あるいは、不意に心の奥底で消えかかっていた火が燃え上がっていくような星回り。
もう現代では見られなくなった光景ですが、囲炉裏や竈(かまど)の何気ないワンシーンに目をとめて詠んだ句。火の中に投じた木の枝か板切れのなかに蟋蟀(こおろぎ)がまじっていたのでしょう。「強く反り」とあるように、熱に苦しむかのように身をよじりながら燃えてゆくような、そんな凄まじい描写からどうしても目が離せなかった。
なぜだろうか。それは目の前の光景がどこかで人間の死後の姿に重なるからであり、作者はそこで自身か身近な相手の姿を想像したのではないでしょうか。
ハッとして我に返ると、虫たちがしんしんと鳴いているのが聞こえてくる。秋の夜長にはついつい物思いに耽ってしまうものですが、それは案外、忘れていた大事なことを思い出すきっかけにもなっていくはず。
10月6日にふたご座から数えて「再誕」を意味する5番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、お尻に火が付いたコオロギのように鮮烈な感情が湧き上がってくるかも知れません。
火宅の比喩
人生を苦しみとする仏教の経典のひとつである『法華経』には、火宅の比喩という有名な一節があります。以下その簡単なまとめの引用です。
或る古びた邸宅に住む長者がいて、彼にはたくさんの子があった。あるとき、ふと見ると家の壁が燃えていた。長者はなんとか我が子を無事に逃がそうと思ったが、「火事だ!」と叫んでも、その声は遊びに夢中の子どもたちには届かない。そこで長者は一計を案じて、「子どもらよ、お聞き。お土産に羊や山羊や牛がひく車をもってきた。今それは外に繋いである。みんなでそれで一緒に遊ぼう!」と呼びかけ、子どもたちはお土産という言葉に惹かれて、我先にと家の外に飛び出した。こうして長者は子どもらを救ったのだ。
この長者とは仏陀のことであり、子どもらは衆生、そして火事の家(火宅)とは私たちが生きる現世のこと。この世で生きることは、突き詰めていえば、生まれ、年老い、病いにかかり、死に至ることに他ならず、「火宅」とはそうした苦しみに満ちた人生を象徴的に示した言葉だったのです。
私たちは日々安逸をむさぼり、死が刻々と近づいていることに気が付きませんが、それは火事に気が付かない子どものようなものだと言うのです。そう考えてみると、「強く反り」ながら火の中で苦しみを自覚しているコオロギとは、仏陀と衆生のはざまにあるような存在なのではないでしょうか。
今週のふたご座もまた、与えられた生の中で、改めて自分なりの真実味を追求していくことになっていくはず。
ふたご座今週のキーワード
火宅の人