ふたご座
亡霊を置き去りに
動きであり、行為であり、生であるために
今週のふたご座は、クレーの「フォルムング(形成)」のごとし。あるいは、より大胆に可能性を利用していこうとするよな星回り。
古代ギリシャのアルキメデスは、シチリア島シラクサの王から王冠の純度を調べるように命じられその方法に悩んでいたとき、風呂に入っていて、水があふれるとともに自分の体が軽くなることに気付いて、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見し、王冠に銀が混じっているのを見抜いたと言います。
こうしたふとした気付き(インスピレーション)の到来は、いつだって精神の動きの中で起こるものですが、逆に言えば私たちはそのラクさゆえに、どうしても動きを止めてから思考を開始するのを当たり前のことだとつい思い込みがちです。
この点について例えば、20世紀前半当時、ヨーロッパ最先端のアートスクールであったバウハウスで教鞭をとっていたパウル・クレーは授業原稿の中で次のように述べています。
現象としてのフォルム(形態)は、邪悪で危険な亡霊である。善良なのは、動き、行為としてのフォルムであり、活動しているフォルムである。このフォルムとはフォルムングのことである。悪いのは、現象としてのフォルムである。つまりそのフォルムは、終焉であり、死である。フォルムングとは、動きであり、行為である。フォルムングは、生である。(『無限の造形・下』)
8月8日にふたご座から数えて「移ろい」を意味する3番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、亡霊としてフォルム(残像)を置き去りにするべく、自身の内側から湧き出してくるフォルムングに身を任せていきたいところ。
運気の交通開きとしての伊勢参り
例えば私たちには、どこか“外”へ光明を求めていくことによってはじめて“内”にあるものへ目を向け直していくことができるという、実にじれったい特性があります。そして、これを逆さにして言うならば、“内”にあるものを知りたいのなら、いったん自分を“外”へと連れ出してくれる道を見つけなければならない、ということになります。
『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんでも有名な、江戸時代に大流行した「伊勢参り」も当時はそんな「道」の鉄板だったのでしょう。当時はただの観光目的では旅行は認められていませんでしたから、「寺社への参拝」という表向きの理由が必要だったという事情もありますが、いずれにせよ経済的にも、精神的にも、それは一生に一度の大旅行でした。
日常からここではないどこかへ脱出するための旅路につくということは、神秘学でいう「弟子たる準備が整った」ことの証しであり、その旅の途上で光明を開いてくれるような師たる先達と出会う僥倖は、それなりの犠牲が強いられたのです。
今週のふたご座もまた、何かを強く求めることと、何かを失うことの表裏一体を、まざまざと認識させられていくことになるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
湧き出してくるフォルムング