ふたご座
やがて引き合う私たち
生きがいと絶景感覚
今週のふたご座は、出会いにおける「絶景感覚」のごとし。あるいは、遠くかけ離れた点と点をつないで、一つの星座を浮かび上がらせていくような星回り。
俳人の永田耕衣は昭和30年ごろに出した句集『吸毛集』のあとがきに、出会いは絶景であると書きましたが、昭和が終わる年のインタビューでは次のように語っていました。
出会いは絶景だと言ったって、誰と会っても絶景だとは言えない。だけど、今日あんたと会うたのは絶景かも知れん。そういう出会いによって人間は個別に、自己の環境を広げていって、その環境を広げるだけじゃなくって深めていって、その人の影響というかな、仏教でいう「善縁」というものを得る。つまり、そういう感覚が絶景感覚よね。
これは「存在のありがたさの感得」とも言い換えられるでしょう。自分の力だけではとても生きていくことはできないという実感と、ただ生きているだけではなくて、何かそこに手応えのある感じが重なって、立体的なものに突き当たっていく。そこで出てきたものを人は生きがいと言うのかも知れません。
つまり、自分に生きがいを感じさせてくれたきっかけがあって、それは誰か何かとの出会いだったな、と。永田はそういう感覚を宝物のように大切をしていたし、石川五右衛門の「ああ絶景かな、ああ絶景かな」というセリフも同じことだろうと言っています。
10日に自分自身の星座であるふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の人生を変えた出会いをたどっていくことで、改めて自身の「生きがい」を浮き彫りにしてみるといいでしょう。
引力と斥力
<わたし>という現象は一種の「磁極」のようなものであって、磁場の中心なのかも知れないと考えてみましょう。
<わたし>の周囲には磁力が働いていて、同じように磁気を発するものを引きつけていく。そして、もうひとつの磁極が近づいてきたとき、反発力が生じて、<わたし>が強まる。
つまり、そうして<わたし>が巻き込み、かつ巻き込まれつつある関係を生きているとき
(磁極としての性質を全うしているとき)、<わたし>は初めて強まるのであり、生きている実感(生きがい)を得ていくことできるのだと。
すなわち、正反対の極同士では引力を,同じ極同士では斥力を働かせていくのが、磁極たる<わたし>にとって健全で健康な状態に他ならず、「絶景感覚」ということもそこから生まれてくるのではないでしょうか。
今週はよく周りを見回して、今一度あなたの磁極としての在り様を確認されたし。
今週のキーワード
あなたは今巻き込んでいるでしょうか、巻き込まれているでしょうか、しりぞけているでしょうか、しりぞけられているでしょうか。あるいは、そのいずれも含んでいますか。