ふたご座
ああ詩情
平明であること
今週のふたご座は、「女湯もひとりの音の山の秋」(皆吉爽雨)という句のごとし。あるいは、静かな思いをありありと深めつつ、それでいてあっさりとしていくような星回り。
「女湯も」という複数の詠い出し方によって、作者が男湯にあることを示し、「ひとりの音の」と続けるあたりにさりげない巧さを感じさせる一句。
壁一つ隔てた向こう側から聞こえる湯を汲む音や、桶の音。そのかすかな、しかし脳裏を直接かすめるような気配は、秋冷えのつよい山の温泉の静けさをかえって深める。
秋に深まるものは、いつだって「ひとり」の道なのだ。そのことを掲句は、重くも堅苦しくもならない仕方で平明に表現しています。
平明というのは、けっして平凡とか、ただ“分かりやすい”というのでもなくて、深く入って浅く出づる姿であり、そこには独りよがりな力みも、これ見よがしな小細工も入る余地はありません。
9月22日のふたご座から「純粋な情趣」を意味する5番目のてんびん座へと太陽が移っていく今週のあなたもまた、これはという詩因からふっと浮かんでくるものをつかまえていきたいところです。
何かが起こりそうな気配を捉える
現代社会に暮らす私たちは、同じようなことばかり起こる日常の連続をごくごく平凡なことだとか、代わり映えしない退屈なことと思いすぎる傾向があります。
そこで、何か劇的な変化を求めてついつい変わったことをして有名になろうとしたり、海外旅行へ行ったり、出会いを求めたり、家を変えたり、酔っ払らおうとしたりする。
けれど、何かが起こりそうな気配の発生してくる震源地というのは、非日常ではなく、むしろ日常の中に埋没して在るものです。一見何も起こらない‟閑静な”シーンにこそ、目を向けるべき対象は潜んでいる。例えば、
「あの三流の付き人を演じているのは、一流の役者かも知れない」
といった、「ひょっとしたら」の感覚。それが幾度か重なり、「まさか」の渦となって高揚し始めてきたとき、人は詩人としての一歩を踏み出していくのだと思います。
今週のキーワード
ひとり道ゆく