ふたご座
魂の在り様をめぐる省察
現実の中で夢を見る
今週のふたご座は、「眼球の分け入つていく雲の峰」(九牛なみ)という句のごとし。あるいは、眩暈のように現実がゆらいでいく感覚を楽しんでいくような星回り。
この句は、ただ「雲の峰」を見上げて遠望しているのではありません。現実にはありえないことですが、眼窩を飛び出した眼球は、実際に大小さまざまな雲に触れつつも、景色の内奥へと「分け入っていく」のです。
しかし現実にはありえないと書きましたが、夢の世界でならばそう珍しいことではないのではないでしょうか。ただ、ここでいう夢は、眠っていて見る「夢」と、覚めていて願望として思い描く「夢」のはざまで揺れているように思えるのです。
つまり、偶然体験した無意識的な衝動の現われとも言えますが、それだけに留まらず、はっきりとした自覚のもとで引き起こされた意識的な体験でもあるのではないでしょうか。
というのも、これは明らかに種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」という句を下敷きにしたものであり、そこでは身体が「青い山」から出ることができなかったのに対して、掲句の「雲の峰」は「青い山」の先に広がる景色であり、すなわち山頭火的な「迷い」を抜け出したところにある現実に触れていかんとするものだからです。
14日にふたご座から数えて「意識の破れ目」を意味する8番目のやぎ座にある木星・冥王星に改めて焦点があたっていく今週のあなたもまた、どこか現実の中で夢を見ていくようなつもりで過ごしてみるといいでしょう。
魂の彷徨
自分自身と仲直りするために、人はしばしば旅に出ます。そしてそういう旅に、本来目的地は要りません。自分自身が目的地だからです。
詩人としての池澤夏樹がナイルやギリシャへの長い旅から帰ってきた後に上梓した第二詩集『最も長い河に関する省察』もまた、そうした旅の記録であると同時に、自分自身の魂のあり様をめぐる省察にもなっています。
ギリシャの山野を自転車で駆け抜け、わけのわからないナイルをどこまでも遡行し、「たとえば砂漠が匂わない」ことを発見する日々のなかで、詩人は毎日どこかに座り込んでは黙々とことばを磨いていたのでしょうか。
「日々の決算は就寝と共に済み
翌日は新しい荷だけを載せて
彩雲の中に帆を張って現れる
聖なる驢馬がその到来を告げ
冷たい磁器の薄明がひろがる」
(輪行記)
五行すべてが能動態の動詞で終わるこの一節は、詩人がことばとともに熟していった証しであり、新たな生きる理由ともなっていったはず。今週のふたご座もまた、どこかでそんな魂の行き来を体験し、それを自分なりの言葉で紡ごうとしているように思います。
今週のキーワード
自分自身が旅の目的地