ふたご座
救済としての自己発見
ああ!
今週のふたご座は、「乳房にああ満月のおもたさよ」(富沢赤黄男)という句のごとし。あるいは、目の前にあるものへ鋭く強く惹きつけられていくような星回り。
「ああ……何々」というのは、その後若い俳人たちのあいだで好んで用いられ、作者は「俳句は詩である」と宣言して新興俳句の理論的展開をも担いました。
満月は古来より世界中でさまざまな形象と置き換えられてきましたが、乳房を比喩として満月を思い浮かべるのは極めて古い系譜の着想でしょう。
この乳房の第一の特徴は重たさであって、軽くもないし、柔らかくもない。つまり、男性を喜ばせるための単なる駆け引き的装置などではなく、ここではもっとずっと強力で厄介なものであり、グルジェフが述べた「物質的生のバランスをとる重力の中心点のようなもの」と言えるかも知れません。
母性などというものも、元来は今日一般的にイメージされている甘やかで優しげなものではなく、狂気と表裏の関係にあるものでしたが、掲句の「満月」にもそれと近いニュアンスが込められているように感じとれるはず。
6月6日にふたご座と真反対のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、作りものの感情原則にのっとって行動していくのではなくて、もっと根源的な本能の発露を通して誰かと関わり、何かを生み出していきたいところです。
オルテガの省察
スペインの思想家オルテガは『ドンキホーテをめぐる省察』の中で「私とは、私と私の環境である。したがって私がもし私の環境を救わなければ、私自身は救われないことになる」と述べていますが、これは今のふたご座の心境をきわめてニュートラルに描写したものと言えるでしょう。
「circumstance」という言葉は、「周りに立つ」という動詞の名詞形で、そこでは環境は寡黙に、しかし顧みられることを熱望しながら、私の周りに立っている訳です。
オルテガはさらにこう続けます、「人間は、自分を取り囲む環境について十分な認識を得たとき、その能力の最大限を発揮する」。
つまり、掲句の作者もまた乳房に満月を見出し、救っていこうとすることで、自身の能力を発揮し、結果的に自分自身をも救おうとしているのだということ。これは逆に言えば、周囲に救われようと坐して待っている限り、救いは訪れないということでもあるのかも知れません。
今週のキーワード
私とは、私と私の環境である。