ふたご座
何かがほとばしる
歯止めをかけよ
今週のふたご座は、「像」を放つ。あるいは、現実コントロール幻想を脱していかんとするような星回り。
ウィトゲンシュタインという哲学者は、「女らしく」であればワンピースを着て、ゆるやかなウェーブのかかった髪型で、優しく微笑んでいる、といった「模像(モデル)」のようなある種の典型的イメージのことを「像(Bild/picture)」と言っていて。
これは私たちが何かを理解しようとするときの大きな助けになる反面、ときにその「像」にとらわれ、想像力の可能性が著しく縛り付けられ、「女」であれば本来そこにはさまざまな意味や豊かさがあるのに、それらが閉じられてしまうのだとも言っています。
なぜそうしたことが起きてしまうのか。それは不安を根こそぎなくそうとして、私たちが時にあまりに現実へ干渉し過ぎてしまうから(現実はコントロールできるという幻想に囚われる)。
例えば先の「女らしく」なら、現実には「女らしくなることと、きちんとした人間になることが矛盾してしまう」(上野千鶴子,『女はなぜやせようとするか』)といった事態は十分に起こり得る訳ですが、自分の意見をはっきり述べていたりすると「怖い」し「女らしくない」ということになって、周囲からの目線や社会からの評価によってそういう現実や矛盾を矯正しようという作用が働き、本人も思わずそれに乗ってしまうのです。
もちろん当人としては矛盾がなくなれば不安もなくなると思ってそうするのですが、実際には想像力が減退し思考が閉鎖的になり、また違うところから不安が湧いてきた時の対処がより困難になっていく。
3月3日に自分自身のサインであるふたご座で上弦の月(行動の危機=動いてナンボ)を迎えていく今週のあなたは、そうした負のスパイラルに歯止めをかける意味でも、今こそ自分の中の「像」を疑い、それらをほぐして自身の言葉を解放させていきたいところです。
なにごとか起こりそうな気配
廃墟のなかでとつぜん得体の知れない明るさの感覚を掴んだとき、人は不謹慎にも生き生きしてしまうことがある。 野暮を承知で言わせてもらえば、それは(像のために)これまで言いたくても直接的に言えなかったこと、現わそうとしてもなかなか現わせないことが、自分と世界とのあいだに不意に開いた「余白」から突如としてバッと飛び出してくるからではないか。
べつに余白のところは、裂け目でも浄土でも夢魔の棲み家でも構わない。だいたい、他の人は気にもしていなかったり、そもそも見えてもいなかったりするんだから。
でも、こちらでだまってジッと見ていると、不意にこみあげてくるものがある。その対象が物であれ人であれ、そういう何かが起こりそうな気配のあるところに、どうも今週のあなたは惹きつけられていくだろう。
今週のキーワード
可能性は光っている