ふたご座
反逆と倦怠
予期された懐柔
今週のふたご座は、村上春樹の「パン屋襲撃」のごとし。あるいは、労働ではなく純粋な反逆を企てていこうとするような星回り。
腹を空かした「僕」と相棒がパン屋を襲撃しようとする。その本質はどこにあったのか。後に書かれた続編作品において、なぜ、ぱっとしないパン屋を選んだのかと妻に聞かれた「僕」は、次のように答えています。
「自分たちの飢えを充たしてくれるだけの量のパンを求めていたんであって、何も金を盗ろうとしていたわけじゃない。我々は襲撃者であって、強盗ではなかった」
けれど、襲撃は「成功したとも言えるし、しなかったともいえる」結果で終わります。僕と相棒は「パンを好きなだけ手に入れることができた」が、「強奪しようとする前に、パン屋の主人がそれをくれた」。
「もしパン屋の主人がそのとき」「皿を洗うことやウィンドウを磨くことを要求していたら」断固拒否してあっさり強奪していただろうが、パン屋の主人は「ただ単にワグナーのLPを聴き通すことだけを求め」、この提案に僕と相棒は「すっかり混乱して」しまい、それは彼らにとって「まるで呪い」のようなものとなって降りかかり、その後に「ちょっとしたことがあって」彼らは別れ、二度とパン屋を襲撃することもなかったのでした。
この小説の時代設定は70年代頭、強奪の代わりに労働による等価交換へと若者の興味が移っていった社会の中で、あえて彼らは強奪を試みながら、「社会」の側に一枚上手の対応をされて懐柔されてしまったのだとも、あえてそこに身を委ねたのだとも言えます。
19日(水)に太陽がふたご座から数えて「社会において期待されている役割」を意味する10番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、ひとりの「僕」としていかに社会や時代が突きつける問いに返答していくべきか、一つの選択を迫られていくことでしょう。
「自主的隷従」を前にして
一時的な安寧を得るために、個の力ではどうしても抗いがたい力の犠牲となって、搾取される。誰かに操られるままになる。しかも、自分から進んでそうすることに慣れていく。
16世紀の早熟の天才思想家ラ・ボエシはそんな人間の性質を「自主的隷従」と呼びましたが、これは、むしろ現代において顕著に見られる傾向にあるように思います。
ただ一方で、人間にはひとつの状態が長く続き、極まると「飽きる」、そして真逆の状態へと反転するという性質もあるようです。
その意味で今週のふたご座のテーマは、よりつまらない選択の連続に「飽きる」ことにあるのだ、という風にも言い換えられるかも知れません。
今週のキーワード
大きく飽きる