ふたご座
謎は蜜の味
「自分」とは何なのか、その謎をめぐって
今週のふたご座は、ハイデガーの「時熟」という言葉のごとし。あるいは、まだ汲み取り切れていなかった過去の意味が、浮かび上がってくるような星回り。
若い頃というのは経験の厚みがまだありませんから、考えごとをするのでも思索というより思考に近いと言えるかもしれません。
その意味で、思索というのは「自分の人生」ではなくなってから初めてだんだんと深まってくるもので、そうなってくると「人生について思索する」のではなくて、人生それ自体が自然と思索になっていることに気が付いていくように感じられてきます。
ハイデガーはそれを「時熟(じじゅく)」と呼んでいて、時間であるところの人生が、おのずと熟し、自分が存在しているということをめぐる謎の味わいが発酵してきて、得も言われぬ奥深い味がしてくる。
人間の魂というのは、どうしてもそういうものに惹かれてしまう。分かっちゃいるけど、やめられない。そういう意味で、やはり自分の過去というのは人間にとって最高のコンテンツなのです。
そして、16日(金)にふたご座から数えて「日常意識のひらけ」を意味する9番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週は、まさに先の意味での「思索」が自然と深まっていきやすいタイミングなのだと言えます。
思索として在る
「時熟」はもとのドイツ語では「Zich zeitigen」と表されます。「zeitigen」は「熟させる」「(成果を)もたらす」を意味する動詞で、sichは「自分自身を」の意。
ハイデガーは、自分で作ったこの造語を「おのれを時間として展開する」という意味で用い、その思想の中核的キーワードとして採用していきました。
すなわち、私たち人間というのは、多少の幅や厚みのある<現在>のうちに、ちょっとした“ズレ”や‟差異”を見出し、<過去>や<未来>といった別の次元を開いていって、<現在>との間に複雑なフィードバックを見出しては、それにまたがって生きている、ということ。
ハイデガーは「時こそが生である」と考えていたんですね。
かつてソクラテスは(というより彼について書いたプラトンは)、人間は50歳を過ぎてからが哲学に最もふさわしいと言ったようですが、思索の本能が強まっている今のふたご座ならば、考える精神をもつ人間としての醍醐味を少なからず味わっていくことが出来るはず。
今週は、思索しているこの思索だけが存在しているくらいのつもりで、過ごしていきたいところです。
今週のキーワード
思考ではなく思索