ふたご座
意識を捨てて遊ぶ
夜的に喩え
今週のふたご座の星回りは、夜店の屋台の射的遊びのごとし。あるいは、だんだん頭が消えていく感覚に身を任せていくこと。
夜に電燈に照らされた的を射る遊びを「夜的」といい、かつては温泉街や夜店などでよく見かけたものです。
最近はそんな遊びもすっかり廃れてしまいましたが、この夜的をめぐる意識のあり方は、21日(火)に太陽がふたご座入りし、活力のスイッチが入っていく今週のあなたにとって、じつにぴったりのイメージと言えるでしょう。
連なる電燈の明かりと行き交う人々の喧噪のなか、銃口を的に向け意識を集中していくなかで、不意に暗がりのなかに的だけが浮かび上がって見えてくるようになり、さらに集中が深まると、いつの間にか周囲の音も消えて静かになっている。
もちろん、夜的の景品など大抵は他愛のないものですが、遊びというのは真剣にやればやるほど面白くなっていくもので、なぜそれをやるかという理由はしょせん後付けでしかないんです。
その意味で、今週は損か得か、モテるかどうか、生産性があるかなんて余計なことはこの際すべて脇にどけて、どれだけ純粋に目の前の「的」で遊び倒していけるかを追求していくべし。
「非思量」ということ
禅の世界には「非思量」という用語があって、これは例えば中国・唐代の禅師・薬山惟儼(やくさんいげん)による次のような問答において記録されています。
ある時、薬山が深い瞑想状態で坐っていると、ひとりの僧がやってきて彼に尋ねた、「岩のようにじっと坐っていて、あなたは何を考えているのですか?」
師は答えた、「絶対的に思考できないものを考えている。」
僧「絶対的に思考できないものをどうして思考できるというのですか?」
師「非思考的思考、非思量によってだ!」
通常、人の意識というのはXであれ〇〇であれ、何かしらの対象を思考する在り方をしているもの。
ですが先の問答にもあるように、座禅の実践の第一の目的というのは、意識の非思考的次元を探求することであり、その次元では人は何かを「思考する」ことのない純粋な活動体となりえる訳です。
だからと言って、もちろんここであなたに座禅をすすめている訳ではありませんが、今週はどこかでこうした「頭が消えていく感覚」へ接近していきやすいタイミングと言えるでしょう。
今週のキーワード
集中と極限