ふたご座
いつだって何気ない場所で変化は起きる
嘔吐と電柱
今週のふたご座は、「電柱に嘔吐三寒四温かな」(北大路翼)という句のごとし。あるいは、どんなにちっぽけだろうと、守るべきものを持つことで開き直っていくような星回り。
作者は自分の処女詩集のタイトルを、当初『天使の涎』ではなく『嘔吐』にしようと考えていたそうです。きっと歌舞伎町のどこか決まった電柱に、毎日朝まで飲んでは吐いてを繰り返す日々の中で、春の訪れとともに“何か”を感じた瞬間があったのでしょう。
昨日は冬みたいに凍えそうになりながら吐いて、今日はなんだか初夏みたいにあっついぜと思いつつ吐いて、日々飲んでは吐いてを繰り返している生活だけれど、そんな自分にも季節は巡ってくるんだなあ。こんなありがたいことってある? ある意味、自分は電柱に救われたのかも知れないな、というのはまあ勝手な妄想ですが。
作者にとってはたまたま「電柱」だったというだけで、別にそれ本来、何だっていい。思いの丈を吐き出し続ける先があるだけで、人間救われることもあるし、そこに気が付けずにあっけなく死んでしまうこともある。
きっと自分とぴたり合うような吐き出し先や受け止め先こそ、その人が守るべき大事な存在であり、今週のあなたはそのありがたみについて、鋭く感じ入っていくことができるのではないかと思います。
何かが起こりそうな気配を捉える
現代社会に暮らす私たちは、同じようなことばかり起こる日常の連続をごくごく平凡なことだとか、代わり映えしない退屈なことと思いすぎる傾向があります。そこで、何か劇的な変化を求めてついつい変わったことをして有名になろうとしたり、海外旅行へ行ったり、出会いを求めたりする。
けれど、何かが起こりそうな気配の発生してくる震源地というのは、非日常ではなく、むしろ日常の中に埋没して在るものです。一見何も起こらない“閑静な”シーンにこそ、目を向けるべき対象は潜んでいる。例えば、
「あの三流の付き人を演じているのは、一流の役者かも知れない」
といった、「ひょっとしたら」の感覚。それが幾度か重なり、「まさか」の渦となって高揚し始めてきたとき、現実はあっけなくひっくり返り、かすかな消息を残してどこかへ消えてしまったりする。
今週はそうした気配にぜひとも敏感になっていきたいところです。
今週のキーワード
気配の震源地