ふたご座
病んで嫌われてこそ
「ハナシは人なり」
今週のふたご座は、クサい芸だキザな男だと言われることを厭わなかった話術家のごとし。あるいは、話し手としての個性をギラリ発揮していくような星回り。
昔の落語家や話術家などは、若いときに「クサい芸だキザな男だ」(徳川夢声)と言われるようでなければ大成するものではない、という説をまともに浴びせられてきたものでした。
クサいもキザも、どちらも個性が強烈に匂い立ち、どこか異様な光を放っていることの裏返しであり、例えば明治落語の名人・三遊亭圓朝なども、若いときは通から見るとやりきれない代物と評価されたものでした。
そして晩年は淡々たる境地に入って「ハナシは人なり」を体現した大人物へと成っていきました。
逆に、嫌われもしない代わりに、好かれもしないという芸人もたくさんいますが、こういう人は個性が弱いのであって、やはりいくら時間が経っても人気者とか大看板とかには永久になれません。
もちろん他人から好意を持たれるに越したことはないのですが、それをあえて聖人たれとは誰も言われてこなかったのです。そういう意味では、今のSNSや言論における風潮はその逆かもしれませんね。
うお座で新月が形成される今週は「ハナシには、個性が絶対必要なり」(徳川夢声)を地で行くべく、不器用でも不自然でも、自分の材料を自分勝手に演出するくらいの放縦さを発揮していきたいところです。
ビョーキも個性
例えば現代人は心やからだを病むと、それをみんなでよってたかって“治療”しようとする。
それは社会や周囲から自己管理ができていないダメな奴という烙印を押されるからかもしれないし、そもそも「病む」ということがあってはならないことだと思っているからなのかもしれない。
けれど、病むということもまた生命を繋いでいくための1つの手段であり、いわば身体性に基づいた「個性の発揮」なのではないでしょうか。
そのことに理解を深めていくためには、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないという事実を改めて認識していくといいでしょう。
現代人はふだん「意識」や「自我」が自分を支配し、そこで自らの行動様式や生き方を決定していると思いがちですが、脳みそなんてものはもう1つの自己を規定する免疫系によっていともたやすく排除されてしまうもの。
というより、昔から頭では大丈夫だと思っていても、身体が拒絶反応を示す時に、それを「病い」と呼んできたんです。
今週は、個性を発揮するということは新たに自己を創り出すということでもあり、また病いを得るということは自分という全体性を保つことでもあるのだと、よくよく自分に言い聞かせていくといいかもしれません。
今週のキーワード
「楽屋名人」にならないこと