やぎ座
「地に足をつける」とはいかなることか
自分を生かしてくれている土壌を見出す
今週のやぎ座は、「生きかはり死にかはりして打つ田かな」(村上鬼城)という句のごとし。あるいは、殺しても殺しきれないような自分とは何だろうか? とふと考えさせられていくような星回り。
日本人の先祖は、3万年ほど前に海をわたってこの列島に住みついたと言われています。そして、その中には舟とともに籾をつんで、稲作をはじめた人もいたのでしょう。それ以来、この日本では稲作を中心に社会は栄え、夏には田を植え、秋には稲刈りをするという作業を気が遠くなるほどに繰り返してきました。
「打つ田」とは、田植えの準備として春におこなう田打ちのこと。そうした連綿と受け継がれてきたサイクルに、いよいよ入っていく際に必ず行うイニシエーションのようなものとも言えるかも知れない。
何度も何度も田を掘り返しても、列島の土壌の豊かさは失われることなく、そこに住む日本人に富と豊かさをもたらし続けてきてくれました。
同様に、あなたにとっても、これまで何度も何度も繰り返し豊かさを与えてきてくれたものがどこかにあるはず。今週は、そんな自分の下で静かに横たわっている人生の土壌について思いを馳せていくといいでしょう。
熊楠と粘菌
人間とは何か? という問いを突き詰めていくと、おのずと脳の進化と働きの話となっていく訳ですが、それは言葉を変えれば「賢さとは何か」という問いでもあるように思います。
脳の中枢化が高度にすすんだ生物では、中枢の機能不全はただちに個体の死に結びついてしまいます。機能性こそ高いかもしれませんが、これではその機能の発揮される条件はかなり限定されており、かつ苛酷な環境の中を切り抜けていく生存戦略という点でもどうしても頼りなく思えてしまいます。
その点で、人間の脳とはまったく異なる生存戦略を備えているのが、粘菌です。粘菌は、「森の妖精」とも呼ばれ、土壌表層に広く分布しています。
粘菌は目や口、消化器官や運動器官も持たない均質な身体をしており、その各々が自律的な行動をして、でも全体としてはうまく機能しているという不思議な特徴があります。
しかし、環境次第では一夜で植物から動物へと変身したりなど、生存戦略としては実にとても賢い存在と言えます。
そして粘菌の研究といえば、南方熊楠のことを思い出す方も多いと思います。
彼は森林が伐採され、粘菌がいなくなってしまうことで、この国土壌だけでなく、その上で生きる私たちの精神そのものが死んでしまうのではないか、とどうも本気で考えていたようなのです。
おそらく、今週のあなたのテーマである「地に足をつける」ということも、自分に関わるものを生かそうとしてくれている存在への敬意と危機感をどれくらいシリアスに持てるか、ということと密接に関係してくるのではないでしょうか。
今週のキーワード
森の妖精