
やぎ座
社会のハメ技から抜け出していくために

師弟逆転の相
今週のやぎ座は、師から棒を奪い取ってみせた禅の修行僧のごとし。あるいは、「ダブル・バインド」からの脱出キャンペーンを迎えていくような星回り。
歴史的に見ても、今ほど人類がコミュニケーションにおける誤解や行き違いを経験する頻度が高まった時代はないのではないかと思うことが増えてきましたが、ここで思い出されるのが、ほとんどの精神病理は「コミュニケーション不全」に由来するというグレゴリー・ベイトソンの指摘です。
精神医学者で文化人類学者でもあったグレゴリー・ベイトソンは、そうしたコミュニケーション不全を引き起こす典型的なパターンを「ダブル・バインド」と呼びましたが、その具体例として次のような話を紹介しています。
禅の修行において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。その中のひとつに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないというのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ」。(中略)禅の修行増なら、師から棒を奪い取るという策にも出られるだろう。そしてこの対応を、師が「よし」と認めることもあるだろう。(『精神の生態学』佐藤良明訳)
私たちがもっとも精神を蝕まれるのは、こうした相矛盾したメッセージ内容を同時に伝えられることによって生じる、答えを最初から封じられたコミュニケーションなのです。ベイトソンが最後に提示した「師から棒を奪い取るという策」という行為は、そうした「矛盾のコミュニケーションの外へ」と出ていくという「第3の選択」なのだと言えます。
それはいわば、あれかこれかという二者択一を強いられた状況で、存在ないし見えていなかった選択肢を生みだしそれを選択するというクリエイティブな解決策であり(先の例だと厳密には第4の選択肢ですが)、それを実行できた時にはじめて、人はダブル・バインドという呪縛的状況から自由になることができるのかも知れません。
7月7日にやぎ座から数えて「不健康さを正す場所」を意味する6番目のふたご座に「脱線と逸脱」をもたらす天王星が移っていく今週のあなたもまた、いつの間にか当り前になっていた「矛盾したコミュニケーション」の外へと出ていく絶好のタイミングとなっていくでしょう。
干渉場としての心身
いわゆるスピリチュアルや陰謀論にハマりがちな人というのは、たいていは“大真面目”に世間に適応しようとしているだけなのであって、だからこそかえって袋小路に陥りがちなのかも知れません。
こうした実感は、改めて30年以上前に起きたオウム真理教について振り返る度に抱く実感ではありますが、例えば整体師の片山洋次郎は『オウムと身体』という本の中で次のように語っています。
オウムに『生死を超える』という本がありますが、いくら力んでも「生死を超える」わけではありません。思いきり生きていると瞬間瞬間に「死」があり、刻一刻生まれ変わっているのがわかる。また、一人きりで生きているのではないこと―常に回りの人たちやモノの世界と響きあっていることもわかります。自分の意識だと思っているものが、実は自分と回りの世界の干渉の場だということもわかってきます。生ききっているその瞬間こそ、自らが空っぽだということがわかるのです。
こう言われてみると、確かに現代日本社会のように死を忌み避ける代わりに、死が日常的な光景としてあった近代以前のチベットのような社会では、かえってカルト宗教のような生まれないでしょう。
その意味で、近代合理主義を見直し、健全な生活感覚を取り戻すには、ごく身近なところで「死」を感じたり、片山がいうような「自分と回りの世界の干渉の場」となって響きあっている感覚を取り戻していくことが近道なのだとも言えるはず。
今週のやぎ座の人たちもまた、そうした身体的なレベルでの抜け感をつくっていくべく、どんな話題や言葉に身体のこわばりや力みを伴うのかというところから向き合ってみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
無理な集中よりも思いきり発散した後の静かな快感を追求すること





