
やぎ座
夫婦関係は一番の修行

「あなたはあたしが好きなのかしら」
今週のやぎ座は、『死の棘』で夫を追いつめる妻の会話術のごとし。あるいは、「言ってはならない本当のこと」を口にしたり、させたりしていくような星回り。
島尾敏雄の私小説『死の棘』は、夫の不倫が妻にばれたところから始まるが、ただの痴話喧嘩などでは済まず、夫人はその事実によって精神に異常をきたしてしまい、ひたすらに夫を責め、攻撃し、夫はひたすらに耐え忍ぶ。言ってしまえばそれだけの小説でもある。
そして話がすすむにつれ、次第に夫のほうも頭がおかしくなっていくのだが、そこで不思議な感慨に打たれる。病んだ描写ややりとりも行き過ぎると、それはそれで妙におもしろくおかしく感じられてくるのだ。
あなた帰りたいなら帰ってもいいわよ。あたしはもう少し散歩をします
そんなことを言わないで引きかえそう。湯ざめしてかぜでもひいたらどうするんだ
あら、あなた、あたしのかぜをひくのがそんなに気になるの。あんなに長いあいだちっともかまってくれなかったくせに
それはへんな言いがかりですよ。ミホ、忘れないでくれねえ。昼間墓場のそばのところでもう決してハジメないと誓っただろう
あたし今ハジメているのじゃありません。ちかったことは忘れませんよ。あたしはうそが大きらいです。今だってあなたをちっとも責めてなんかいないでしょ。ただじぶんがわからなくなったんです。あなたはあたしが好きなのかしら。それがわからないの。ほんとうはきらいなんでしょ、きらいならきらいとはっきりおっしゃってください。蛇のなまごろしのようにされているのはあたしたまらない
長い夫婦の生活のなかで妻のこの追いつめのすぐれた技術にどうして私は気づかなかったろう。断定を単純に言いきって、必ず相手の言い分をあいまいな立場に追いこんでしまう見事なロジック。三日のあいだのもつれあった不眠のとりしらべのあとで、私は妻の疲労のない顔に見とれ、自分をどうしても弁解する余地のない、卑しい男と思い始めた。
吉本隆明は『死の棘』という作品は「仕てはならないことを仕、言ってはならないことをいう人々の物語り」であると述べているが、いわばミホは「発作」と称される異常な状態に身を置くことで、「言ってはならない本当のこと」を口にしたりさせたりする特権を得て、それまでの夫婦の力関係を逆転させていったのだと言える。
その意味で、4月18日にやぎ座から数えて「侵犯」を意味する8番目のしし座へと火星が移っていく今週のあなたもまた、圧力鍋の中に入れられたような、ある種の強い緊迫感が漂っていくでしょう。
宗教的実践としての
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』という対談本には、昔の夫婦というのは、ただいろいろなことを「協力」してやっていって、それが一通り終わったら死んでいって、それでめでたしめでたしだった訳だけど、現代ではすっかり事情が変わってしまったのだ、という2人の会話が出てきます。
いわく、いまは先に互いの価値観や好みへの「理解」というものが求められ、その上ではじめて「協力」が成り立つものとされるようになってきている。相手を理解するには、まず自分を理解しなければならない。
ただし、そこでは就活みたいに自分の長所や強みをというより、むしろ自分の欠落や病理、その部位や深刻さなどを、自分である程度認識していかなければならない。それはとても苦しくて、しんどい作業なのだ、と。
それが嫌で別の人を横目で探したり、何度も何度も相手をかえていくような人もいるでしょう。そもそも「理解」という作業に向いてない人だって少なくないはず。
今週のやぎ座もまた、結局のところ他者というのはこちらのコントロールを超えた存在であり、それと向き合い、関係を継続していくことはある種の宗教的な実践(行)に他ならないのだということを何らかの形で実感していきやすいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
仕てはならないことを仕、言ってはならないことをいう人々





