
やぎ座
正直太郎

怪我の功名
今週のやぎ座は、『雪とけてクリクリしたる月よ哉(かな)』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、下手に格好つける代わりに、まっすぐにジタバタしていこうとするような星回り。
江戸にひとり居るときに、故郷の北信濃の雪解けをしのんで詠んだ一句でしょう。早春の夜空にかかった月をみて、なんだか水っぽくて、クリクリしていて、どこか子どもの目みたいな月だなあ、といったところでしょうか。
「クリクリ」という擬音語がどこかぎこちないような、どこか必死になって新鮮なもの、みずみずしいものへの思いを言葉にしているような印象を受けますが、それでいて、あまりそういう自分を隠そうともしていないような真っ正直さも感じられます。
考えてみると掲句をつくったとき、作者はすでにアラフォーでした。江戸時代の50代はもはや人生の晩年も晩年。その後52歳で結婚して家をかまえ子どもをもうけていきましたが、この頃はまだなかなか思い通りにいかない現実に対する焦燥感を募らせていたはず。そんな中で認めたくなくともみずからの老いを認めざるをえないことへの嘆きと抵抗とが、先のぎこちなさとして出たのかもしれません。
けれど、だからこそ本音がいつも以上にストレートに漏れ出たのでしょう。これを怪我の功名とまで言えるかは微妙なところですが、それでも作者はこの句を作る以前より、人としてだいぶ素直になったように思います。
2月5日にやぎ座から数えて「再誕」を意味する5番目のおうし座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、こんな風にだんだん素直になっていく自分を受け入れていきたいところです。
詩の成立条件
中野重治の詩に対する姿勢をよくあらわした作品に「歌」という詩があります。
中野がそこで追究した命題は、人が人であるために、人が人らしくあるために、どうしても必要なこととは何かということでした。
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの/すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
では、どうすれば言いというのか。この詩は次のように締めくくられます。
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
今週のやぎ座もまた、自動的に浮かんでくる思考を内向きに抉るくらいでなければ創造(クリエーション)など成立しないのだということを、改めて胸に刻んでおくといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
おまえは歌うな





