やぎ座
活動の純化
いったんお休み
今週のやぎ座は、カフカの「ただ一つの大罪」への言及のごとし。あるいは、自身の人生に与えてきたもっともらしい装いを、思い切って取り外していこうとするような星回り。
『変身』などの不条理小説などで知られるプラハ出身の作家カフカは、小説だけでなくアフォリズム集も残していますが、その『罪、苦悩、希望、真実の道についての考察』というタイトルの通り、人間がなめうるあらゆる辛酸についての言及が記されています。
たとえば<喜び>についても、彼の手にかかれば「この人生におけるさまざまな喜びは、生そのものの喜びではなくて、われわれがより高い生へと上昇することに対して抱く不安である」と、一気にそのイメージを書き換えられてしまうのです。
ただ、ここで注目しておきたいのは彼が<罪>について言及している箇所で、「人間のあらゆる過ちは、すべて焦りからきている。周到さをそうそうに放棄し、もっともらしい事柄をもっともらしく仕立ててみせる、性急な焦り」と述べた上で、次のように続けるのです。
人間には二つの主要な罪があり、他の罪はすべてこれらに由来する。すなわち焦りと投げやり。人間は、焦りのために楽園から追われ、投げやりのためにそこへ戻れない。が本当は、ただ一つの大罪、焦りがあるだけかもしれない。焦りのために楽園を追われ、焦りのために戻れないのだ
これは現代人全般に対しての警句とも言えますが、冥王星が一時的にやぎ座に戻っている9月頭以降のやぎ座にとっては、特に耳の痛い言葉となるかも知れません。慌ただしく目の前の仕事や目先の関心を追い続けるのではなく、いったんペースを落として、ゆっくり呼吸を整えていくこと。
10月11日に自分自身の星座であるやぎ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そうして自身の中の「性急な焦り」をいったん解きほぐしていけるかどうかが、今後の向かっていく先を決めていくように思います。
無知への回帰の果てに
ここで思い出されるのは、孤独な無国籍者(自称「穴居人」)として、人間の業をたじろぐことなく凝視した哲学者エミール・シオランです。彼は『悪しき造物主』というエッセイ集の「扼殺された思い」という章の中で、生まれついての自己の限界に戻った時の様子として次のように述べています。
横になり、目を閉じる。すると突然、ひとつの深淵が口を開く。それはさながら一個の井戸である
心の中に潜む、憎しみや残酷さ、依存心。そういうものについて私たちが「見せかけ」や「にせもの」などと呼ぶことがないように、目を向ければ向ける程、じつに深い根をもって私たちの中に巣食っていることが分かってきます。
もしあなたがいま何かしら悩みや負担を抱えていて、自らを救済したいと思っているのなら、改めて無知への回帰を果たすことによって、自己の限界を立ち戻らなければなりません。彼は先の一言の後にこう続けます。
その中に引きずり込まれて、私は深遠に生をうけた者のひとりとなり、こうして、はからずもおのが仕事を、いや使命さえも見出すのだ。
今週のやぎ座もまた、今はいたずらに先へ先へと先を急ぐのではなく、すこし自分をカームダウンさせて、その内奥でうごめくものを改めて見つめ直していくといいでしょう。
今週のキーワード
焦りのために楽園を追われ、焦りのために戻れない