やぎ座
酔い方の問題
地層的落差
今週のやぎ座は、『大雷雨鬱王と会うあさの夢』(赤尾兜子)という句のごとし。あるいは、何と出会うとよりいかに出会うかにこだわっていこうとするような星回り。
「鬱王」というのは作者の造語であり、大雷雨とともに現れる水龍の化身といったところでしょうか。
つまり、これは実を写す写生ではなく思いきり虚の世界の存在をあえて句に写しているわけですが、人間関係のおけるケアであったり、またテレビやネットで知る有名人との関わりなどについて考えてみれば、あえて虚を写すことの方がむしろ現実的なのだと言えるかもしれません。
それにしても「大雷雨」に「鬱王」と画数の多い漢字が並んだあとに「あさ」というひらがなを持ってくることで作り出される効果は、四谷三丁目とか六本木あたりの昔からの色街の磁場に通じるものが感じられます。つまり、ある種の変性意識状態に入っていきやすい仕掛けとしての地層的落差がそこにあるのです。
そして本来「虚」というのも、そういう中で出会うことで「実」としての自分を解き放ちもすれば、根っこから覆してしまいもするような圧倒的なリアリティを備えていたはず。
その意味で、7月6日にやぎ座から数えて「エンカウント」を意味する7番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、圧倒的な「虚」に出会ってそこに自身を浮かべていきたいところです。
手前の現実を超えて
今も昔も、ひとつの言葉や言葉同士の連なりに心動かされる時というのは、さながら秋から冬にかけての星空のように、ただクッキリとした輪郭をもった星座図像としての星々を認識している訳ではなく、大抵おのおのの星の連なりや関わりが星のまたたきと共に揺らめいているその様を眺めている時なのだとも言えるかも知れません。
そうして、意識と無意識の境界線で心を遊ばせることができた時、人は目先の対象を超えて、境界線の向こう側へ目を向けていくようになって、自然といい表情になっていくのではないでしょうか。
いまの自分と、遠い過去の誰かとが、星(言葉)を通じてつながっていく。それは夢か幻か、それとも現実と地続きの忘れかけていた記憶の光景か。
今週のやぎ座のあなたもまた、ただ単に高い酒を飲んで目先の現実のことで酔うよりも、飲む酒は安くても夢みたいなことばかり語っていた頃の自分に立ちかえっていくつもりで、現実の境界線をたゆたっていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
いい表情を取り戻すために