やぎ座
何が剥奪されているか
もめ事が起きたわけでもないのに
今週のやぎ座は、大手事務所をふっと辞めてしまう芸能人のごとし。あるいは、生きがいの問題と収入の確保とを混同せず、きちんと分けて考えていこうとするような星回り。
今から100年以上前の1910年代に、思想家のルドルフ・シュタイナーはすでに近代の労働者は経済的な現実のみが唯一の現実であると信じ始めているということが語っているのですが(『職業のカルマと未来』)、一方で彼は、労働者が欲しているものの中には、決して経済活動のみの結果としては現れないものがあるのだとも指摘していました。
近代の生活のなかで賃金労働者もはっきりと語らないものでありながら、社会の意志の根本衝動としてあまりにも明かなものが形成されました。それは「近代の資本主義経済は、流通領域のなかで商品のみに関心を持っている。経済有機体における商品の価値形成に関心を持っている。そして、労働者が、“これは商品であってはならない”と感じているものが、近代の資本主義社会のなかで一つの商品になった。労働者は科学的にまなざしを経済活動にのみ向けているので、“これは商品だ”としか言えない」ということです。つまり、労働者みずからの労働力です。
つまり、労働者のなかに確かに存在する「労働力を商品とされることへの嫌悪感」こそが、近代の社会運動全体の根本衝動であり、それについて徹底的に語ることが出発点になるのだと言っている訳ですが、これは具体的には、「同胞のために働くということと、ある決まった収入を得るということは、相互に完全に分離された2つの事柄である」ということについて考えてみるとわかりやすいかも知れません。
後者は生活上の必要に関することであり、前者は本人の才能や技術の創造的な発揮ないし生きがいや生き様に関することです。現状の社会においては、職業やポストによって所得や報酬が決まることが一般的で、両者が労働環境において混同されてしまうことで、生きがいや生き様が著しく制限されたり、自分の生きがいや生き様に露骨な優劣の判定をみずから内在化してしまい、それが結果として嫌悪感の原因となっているのです。
5月26日にやぎ座から数えて「働き方」を意味する6番目のふたご座に拡大と発展の木星が約12年ぶりに回帰するところから始まった今週のあなたも、自身の場合、いつどんなときに嫌悪感を覚えるのか、そしてそれが何に起因しているのか、改めて考えてみるべし。
「富める国々の囚人」としての私たち
思想家のイヴァン・イリイチは約40年前の1973年に刊行した『コンヴィヴィアリティのための道具』の中で、現代社会が抱えている危機の本質は、人間が生きていく上で必然的に抱えざるを得ない問題(生老病死)に対する処置が外部の専門家へと委託されるようになり、人びとの暮らしが高度に制度化された点にあるとして、次のように述べました。
富める国々の囚人はしばしば彼らの家族よりも多くの品物やサービスが利用できるが、品物がどのように作られているかということに発言権を持たないし、その品物をどうするかということも決められない。彼らの刑罰は私のいわゆるコンヴィヴィアリティ(自立共生)を剥奪されていることに存する。彼らは単なる消費者の地位に降格されているのだ。
この「コンヴィヴィアリティ」という言葉を辞書で引くと、「上機嫌、陽気さ、親睦」などの意味が出てきます。イリイチはそうした心理を含ませた上で、改めて「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」としてこの言葉を定義していった訳ですが、これは先にシュタイナーが述べていた「労働力を商品とされることへの嫌悪感」と好対照をなしているのではないでしょうか。
今週のやぎ座もまた、明日や来月どうすればいいかを決める前に、まず今の自分には何が失われているのかを正確に認識していくべし。
やぎ座の今週のキーワード
制度に踊らされる「単なる消費者」から脱するために