やぎ座
存在そのものへの転び
すってんころりん、パッ!
今週のやぎ座は、『尻餅をついて掴みし春の草』(安積素顔)という句のごとし。あるいは、だんだんアホになっていく自分をしみじみ実感していくような星回り。
作者は中途失明の盲俳人。道を歩いていて何かの拍子にバランスを崩し、尻餅(しりもち)をついて草をつかんだというだけのことですが、何度も口に出してはにんまりしたくなってくるような味わいがあります。
不意にこけて地面に転がった時の動作、草をつかんでしまった驚き、その後の困ったような、自身の滑稽さに面を食らっているような微妙な表情…。
周囲にいて盲人が転んだのを見かけた人は、はじめこそびっくりして振り返ったり、あわてて起すの手伝ってやろうと駆け寄ったことと思いますが、次第にその恰好のおかしさに笑い出しそうになったり、その表情のあまりのしまりのなさにつられて、ついボーっとしてしまったのではないでしょうか。
こうしたどこか哀れさとユーモアとが入り混じったような掲句の空気感には、硬質な淋しさを含んだ秋のあわれとは異なる、いかにも「春のあわれ」としか言いようのない、しみじみと人と人との境界線を侵してくるような愛らしさが漂っているようです。
3月10日にやぎ座から数えて「道行き」を意味する3番目のうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、そうした「春のあわれ」に身を浸してみるといいでしょう。
「非思量」ということ
禅の世界には「非思量」という用語があって、これは例えば中国・唐代の禅師・薬山惟儼(やくさんいげん)による次のような問答において記録されています。
ある時、薬山が深い瞑想状態で坐っていると、ひとりの僧がやってきて彼に尋ねた、「岩のようにじっと坐っていて、あなたは何を考えているのですか?」
師は答えた、「絶対的に思考できないものを考えている。」
僧「絶対的に思考できないものをどうして思考できるというのですか?」
師「非思考的思考、非思量によってだ!」
通常、人の意識というのはXであれ〇〇であれ、何かしらの“対象”を志向する在り方をしているものですが、座禅実践の第一の目的というのは意識の非志向的次元を探求することであり、その次元では人は異性との付き合いであれビジネスであれ何かを「志向する」ことのない純粋な活動体となりえる訳です。
だからといってもちろんここで座禅を勧めている訳ではありませんが、良い意味でアホを深めていくためには、こうした余計な雑音が消えていく「頭が消えていく感覚」へどれだけ迫っていけるかが一つの鍵となっていくように思います。
やぎ座の今週のキーワード
ただ座る