やぎ座
主戦場を移す
若さの軸と老いの軸
今週のやぎ座は、『手に何もなく秋晴を歩くこと』(富安風生)という句のごとし。あるいは、ある系の相(phase)が別の相へと変わっていくような星回り。
一見するととても静かで平凡な句に感じるが、2度読むとどこか容易ならざるものがあるのが感じられてくる。そして次第に、表面の平穏さの奥に、意外に強い心持ちだったり、厳しい調子が隠れ潜んでいるのが分かってくると、作者はここまで鍛え上げるのにいったいどれだけの歩みを経てきたのだろうか、という方へ関心が移っていく。
それは例えば、日本庭園に置かれた石にも似ている。ただなんとなく、無造作にそこに置かれているかのように見えるが、実際には作庭にあたって空間のどこに石を立てるかを決めるのには、熟練の技が必要であるように。
いかに表面の起伏に富んでいるか、という軸が若さと関係しているのだとすれば、内面や奥行きの容量がどれだけあるか、という軸は老いと関係しているのではないか。そして、掲句は典型的な後者の賜物であり、こういう句に触れると読者の側も自身の内面の容量が問われていく。
おのずと、老いるとは退屈で、色褪せていくものなのではなく、主戦場を見えない領域へと移していくことに他ならないのだと、思えてくる。12日にやぎ座から数えて「もののはずみ」を意味する11番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、ぽーっんとこれまでとは異なる次元へと連れていかれるようなところが出てきそうです。
旅の醍醐味
文学研究者の芳賀徹は、日本の紀行文学の最高峰とされる松尾芭蕉の『奥の細道』のクライマックスは、通説では松島とか平泉とか、いわゆる名所旧跡とされ、伝統的に和歌に詠みこまれてきた場所にあるとされるのに対し、むしろそういう伝統文化の形式がほころびていく出羽あたりにあるものとして読まれるべきだろう、ということを述べていました。
和歌に詠まれた名所やその痕跡としての歌枕なんてものは、しょせん京都を中心とした都会の貴族文化をモデルとして辺境を切り取ろうとする眼差しの副産物に過ぎず、逆にそういうお高くとまった都会人の固定観念や想念体系が、みちのくに息づく古代的な地の霊のようなものに触れ、破られ、打ち捨てられるにしたがって、目に映ってくるものが生き生きと立ち上がってくるそのリアリティこそ、大切にされるべきだと言う訳です。
このあたりの話は、おそらく今のやぎ座の星回りにも通底するのではないでしょうか。つまり、さまざまな記号やしがらみにがんじがらめになった「都会人」である以前に、お前は現に生きているひとりの人間であり、生命体だろう?と。今週のあなたもまた、そうしたほころびや破れということを肯定的に受け入れてみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
ほや~っとしていく