やぎ座
歴史性を取り込んでいく
非農業民の歴史
今週のやぎ座は、聖なる仕事に従事した鬼のごとし。あるいは、みずから穢れを負って、「縁の下の力持ち」であらんとしていくような星回り。
近年、フリーランスへ転身する人は増加の一途をたどっていますが、一方でフリーランスの社会的な立場の弱さや後ろ指を過度に内面化させて自意識をこじらせてしまったり、安易に成功を急ごうとしてしまう人も少なくないように思います。ここで歴史を振り返ってみると、例えば民俗学者の小松和彦は『鬼がつくった国・日本』の中で、「忘れてはならないのは、非農業民がすべて賤民であったわけじゃない」のだと述べています。
この場合の「非農業民」とは、芸能者や職人のことですが、彼らがすべて差別されていた訳ではなくて、「主として「死」を穢れとする観念、不治の病を持った人を忌避する観念によって具現化」されたことで、室町時代に賤視される職人が増えたのだそう。彼らの多くは山の民や川の民、あるいは海の民だった訳ですが、山や海は異界すなわちあの世と地続きの死の世界と見なされていましたから、これは当然と言えば当然の話なんですね。
では、彼らはどうしたか。黙って賤視を受け入れて泣き寝入りしていたかと言うと、そうではなくて、異界も含めた根源的な支配者としての「土地の主」である天皇によって職業の保証を受けることで、つまり世俗的権力とは異なる「聖」なる存在に認可されることで、天皇と精神的な共同性を獲得し、むしろ人気と羨望の的となっていったのだそうです。
というのも、たとえば寺社の造営や橋や道路などの社会事業などは、確かな技術をもった職人や芸人たちの力を多数集結しなければ不可能であり、彼らは賤視と隣りあわせの非農業民でありつつも、「聖なる仕事」に従事する異類異形の「鬼」であり、恐れられつつもありがたい存在でもあった訳です。
社会において「穢れ」への忌避が強まれば、結局誰かがその穢れを負いつつ、見えないところで社会を支えなければなりません。9月23日にやぎ座から数えて「為すべきこと」を意味する10番目のてんびん座への太陽入り(秋分)を迎えていく今週のあなたもまた、どちらかというと桃太郎ではなく鬼の側に立って、自身の社会的な活動の方向性を見据えてみるといいでしょう。
過去の要請に応答せよ
今から約100年前。第一次世界大戦中の1918年から始まったスペイン風邪のパンデミックは、1920年に終息するまで世界中で極めて多くの死者を出しましたが、同じ頃にヨーロッパの精神的没落に警鐘を鳴らした『精神の危機』を書き、大きな反響を呼んだ人物がポール・ヴァレリーでした。
そこでヴァレリーは5000年とか10000年といったスケールで、「精神」と呼ばれているものの役割について構想してみせましたが、別の講演録で次のように述べている箇所などはいまのやぎ座にとっても、感覚的に近しく感じるところがあるのではないでしょうか。
しばらく前に、私のところに人がやってきて、生活がどうなるか、半世紀後の生活がどうかるか、私の意見を聞きたいと言った。私が肩をすくめたので、質問者は質問の射程を小さくし、言わば値下げして、私に問うた。「二十年後は、どうでしょうか?」私は彼に答えた。「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです……」、と。
今週のあなたもまた、大きなスケールに立ってみずからの過去の要請を改めて振り返り、それに応えていくことで、少し先の未来を思い描いていくことがテーマとなっていきそうです。
やぎ座の今週のキーワード
「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです」