やぎ座
ギブ&テイクを超えていけ
重力に基づく人間関係に抗う
今週のやぎ座は、恩寵にもとづく友情のごとし。あるいは、友達自身を愛しているのか、それとも彼らからの見返りを愛していたのか、自問自答していくような星回り。
私たちが誰か他者と関わるとき、私たちは他者に対して、自分がしたことを相手が返してくれることを期待している。たとえば、こちらが友だちの愚痴を聞いてあげたのなら、友だちはそれに感謝しているはずだから、当然同じように自分も相手に愚痴を聞いてもらって然るべきだと考える。このとき、「私」は「私に愚痴を聞いてもらってさぞや友だちは楽になったし、そのことに感謝しているだろう」と友達の心情を想像している訳です。
思想家のシモーヌ・ヴェイユは、このようにして私たちに他者を想像することを強いる力、そして想像上の世界での均衡が保たれ、ギブ&テイクの成立を要請するような力のことを「重力」と呼びました。私たちが物理法則から逃れられないように、重力もまた私たちに強制的に作用し、その力に飲み込まれることで人間関係は息苦しく、風通しの悪いものになっていく。いじめであったり、ハラスメントというのはその帰結として起こるのである。
もちろん、すべての友情や人間関係が見返りをもらうことを前提に成立している訳ではなく、私たちはむしろ重力に抗ったり、“都合のよさ”に飲み込まれないでいることもできる(どう考えても損をすることが分かっているのに相手に手を差し伸べずにはいられない時など)。そのとき、友情や人間関係は重力とは別の原理に支えられており、ヴェイユはそれを「恩寵」と呼びました。そして、そうした友情が自分にあるのか否かを、次のような仕方で自分に問いかけたのです(『重力と恩寵』)。
自分が愛しているもの。自分を愛している人のことを思い出すとき、それらが今目の前に見えていないならばいつでも、ひょっとすると愛するそのものは壊れたのかもしれないとか、愛するその人は死んだのかもしれないとか空想すること。このような考え方が現実性の感覚を消し去ってしまわず、かえっていっそう強くするようでありたい。
9月7日にやぎ座から数えて「美学」を意味する6番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、身の周りに地獄を生みださないためにも、寂しさを紛らわしたいといった友達への見返りへの期待や願望を、いったんリセットしてみるといいでしょう。
芸術作品への愛
恩寵に基づく愛ということについて、ヴェイユは「他の人たちがそのままで存在しているのを信じることが、愛である」という言い方もしていましたが、これは言い換えれば、自分にとって都合のいい他者像をでっちあげないでいることでもあります。
そして、こうした愛はどこか芸術作品への愛に似ているのではないでしょうか。芸術作品を真に鑑賞していくには、ただ感覚的に感じるだけでなく、その芸術が生み出された背景や文脈をきちんと理解していかなければなりませんが、どれほどの専門家であれ、それを完全に知り尽くすことは不可能なはず。そうであるならば、作品に何か足らないと言って勝手に描き加えたり、逆に削ったりなんて真似は作品への冒涜に他ならず、同じことは人間関係にも言えるはず。
今週のやぎ座もまた、どこかで他者をすでにそれ自体で完成された存在であり、ひとつの芸術作品として見なすことで、相手がただその人自身であることを肯定していくべし。
やぎ座の今週のキーワード
すでに死んでいる友をそれでも愛せるか