やぎ座
暗い自然のお友達
蜘蛛との絆
今週のやぎ座は、『われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥(ゆる)さず』(野澤節子)という句のごとし。あるいは、感情という綱をギューッと引いていこうとするような星回り。
脊椎カリエスにかかり、生死の瀬戸際にありながら床に伏すことしかできない日々を過ごしてた作者が、その鋭いまなざしで自己を凝視してみせた一句。
病室に隔離された閉塞感のなかで、病の苦しみと死への恐怖をひとり抱え、さぞかし不安で押し潰されそうになっていたのでしょう。そして、それがある一線をこえたとき、生を謳歌しているあらゆる生きものへの激しい嫉妬と怒りとが、作者のなかで一気に炸裂したのかも知れません。
特に寝苦しく蒸暑い夏の夜などには、いよいよそうした激情は抑えがたいものとなって、気付けばベッドを這う蜘蛛のようなちっぽけで、どちらかと言うと世間から疎まれている生き物にさえ、まるで仇敵に向けるような感情を差し向けていた―。
しかし、それは自身の生への執着の裏返しに他ならないことも、作者はよく分かっていたはず。「今宵一匹の蜘蛛も宥さず」という度を越した字余りには、周囲への体面や遠慮など一切をかなぐり捨ててでも、再びいのちをこの手につかみとってやろうという鬼気迫る念力のようなものが感じられてなりません。
16日にやぎ座から数えて「縁の深まり」を意味する8番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした激しい感情を差し向けられる縁に思いきりコミットしていくべし。
「小賢しさ」を超えて
古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとりエウリピデスの戯曲『バッカイ―バッコスに憑かれた女たち―』では、どこからともなく現われては女たちを家から飛び出させ、山野を疾走させた葡萄酒と酩酊の神ディオニューソスを取り締まろうとした国で最も理性的な人物である王ペンテウスを、ディオニューソスが言葉巧みに運命的悲劇に誘導する様子が描かれています。
例えば、今からでも丸く治める手はあると呼びかけるディオニューソスに対し、ペンテウスが率いてきた軍隊に命じ攻撃させようとしたその時、次のように語りかけるのです。
ディオニューソス:よろしい。あなたは女たちが山中で並んで腰かけているところを見たくはないのですか。
ペンテウス:ぜひとも見たい。金をいくら積んでもよい。
ディオニューソス:どうしたのです。激しい欲望に陥ってしまった。
ペンテウス:もちろん女たちが酒に酔っていたら正視するのはつらかろう。
ディオニューソス:とはいえ、つらいことでも喜んで見たいのですか。
ペンテウス:私は見たいのだ。ただし樅の木陰に音も立てず身を潜めて。
誰よりも理性的であったはずのペンテウスは、それゆえにおのれの内に屈折した欲望を抱えており、ディオニューソスにそこを突かれてしまった訳ですが、それは偽善的純潔や小賢しさなどは、暗い自然の前では露ほども通用せず、むしろ多くの場合、その愚かさや異常さを暴かれてしまうことと相通じているように思います。
その意味で、今週のやぎ座もまた、内部からであれ外部からであれ、暗い自然からの襲撃を、みずから受け入れてしまうようなところがあるでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
ディオニューソスさまの到来だ