やぎ座
私の肉体は一つの聖堂である
後ずさりしながら進んでいく
今週のやぎ座は、『耐へてゐる冬日を浴びて生きてゐて』(矢口晃)という句のごとし。あるいは、復活の途上にある我を感じていくような星回り。
「耐へてゐる」という吐露から始まるこの句は、つらい現実を生き延びつつある人が詠んだ句なのでしょう。一見すると何もしていない、何もできていないように見える。生産性を発揮して、誰かの役に立たなければ、社会的には死んでいるも同然かもしれない。
けれど、厳しい冬にも日は差し、それを浴びることで自分が生きていることをやっと確認している人間だっているのだ。そんな人間にとっては、数センチ身体を動かすことだって大きなチャレンジであり、やがてやって来るだろう生命の賦活としての春へと命をつなぐどんな冒険とも勝るとも劣らない大事業の一部に他ならないのです。
どことなく、人生とは「後ずさりしながら進んでいく」ものなのだというコリングウッドの言葉を思い出させる句だが、この場合、直接見たり知ったりできない未来を背にしてじりじり進むという意味だけでなく、どこまでも追いすがってくる過去をなんとか蹴り離しながら、という意味合いも強く背負っているように思います。
1月23日にやぎ座から数えて「再燃」を意味する5番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、過去を蹴り離すだけの強さしぶとさを発揮していくべし。
隠れた実在の表象
ロダンには小品ながら『カテドラル(大聖堂)』と名付けられた彫刻作品があります。厚みも大きさも手首の細さも異なる2つの手が、今にも触れ合おうとしているのか、はたまた離れる瞬間なのか。いずれにせよ、そこには不思議な宇宙性と宗教性が横溢しています。
どうしてこのような作品がつくられ、祈りの場である大聖堂の名がついたのか。『ロダンの言葉抄』の中には、そのヒントとなるような次のような言葉があります。
(宗教とは)無限界、永遠界に向かっての、きわまりない智恵と愛とに向かっての、われわれの意識の飛躍です。多分夢幻に等しい頼みごとでしょう。(中略)線と色調とはわれわれにとって隠れた実在の表象です。表面を突き通して、われわれの眼は精神まで潜りこむのです。
そうして彼にとっての宗教体験と制作哲学とが結びつけられた上で、こう結ばれるのです。「よき彫刻家が人間の彫刻をつくるとき、彼が再現するのは筋肉ばかりではありません。それは筋肉を活動させる生命です」と。
今週のやぎ座もまた、自分が人生に対し何を祈り、それをどのような形で具現化しようとしているのか、改めておのれに問うていくことになりそうです。
やぎ座の今週のキーワード
生命と飛躍の瞬間