やぎ座
閉ざされていた光を開く
心に沈黙を
今週のやぎ座は、「コンテンプラチオする」という言葉のごとし。あるいは、労働でも怠惰でもなく、余暇をこそみずからにもたらしていこうとするような星回り。
キリスト教には精神生活の理想として挙げられる「コンテンプラチオ」という言葉があります。これは通常は修道僧が人里離れた荒野や修道院で行っている内観としての修行を指すのですが、カトリックの哲学者ピーパーはより簡潔に、「現実のなかで目を開くこと」としてより平易に定義し直しています(『余暇と祝祭』)。
ピーパーによれば、そうした意味での余暇の最中にある人間は、眠っている人と似ており、余暇の喪失は「不眠」と特別な結びつきがあるのだそうです。逆に、単なる休憩や自由に動き回ること、週末、レジャーに赴くことなどはすべて外的な事実に過ぎず、「非・活動」「内面的なゆとり」「ゆだねること」「沈黙」などの在り方に共通する精神の状態である余暇とは異なるのだと。
沈黙とは単に声を出さないこと、口をつぐんでいることではなく、口を開けばとぎれてしまうような深い心の通いあいのことであり、そのような精神の状態で開こうとしているバラの花や子どもの寝顔や神的な秘儀などを一心に見つめることにおいて、私たちは十分な睡眠が英気を養ってくれるのと同じように、不思議と元気づけられるのです。
その意味で、7月20日にやぎ座から数えて「心の落ち着き先」を意味する4番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけそうした余暇的な精神状態へと意識をチューニングしていくべし。
人の上に目をのせる
「コンテンプラチオ」はキリスト教の伝統から生まれた言葉であり実践ですが、日本の伝統文化においてそれに近いものとして思い出されるものに野点(のだて、野外でたてる茶の湯のこと)でのお茶のいただき方があります。
茶碗を回して、正面をはずしてから、一口ずつしっかり飲む。そして湯を飲み終えた茶碗の底に、空にうかぶ雲が映る。椀の底から反射した光が闇に飲み込まれることなく瞳まで届いたのだ。その事実の、何とありがたいことよ。
そも、瞳は人見に通じる。人の姿が映って見える、の意だそう。そして「見」という漢字は、人の上に目をのせる。まるで天の目に自分自身をさらしているかのように。その手つきのほどやいかに。
今週のやぎ座もまた、さながら闇の中に閉じ込められていた光(与えられたもの)を外へと開いていくことで、これまで感じ取れていなかったものを改めて感じ直していくことがテーマとなっていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
光を行き届かせるために