やぎ座
有機物として存在するために
「春の雲」の包容
今週のやぎ座は、「鉛筆のありて使はず春の雲」(山本一歩)という句のごとし。あるいは、しばし動きを止めてただそこに存在することを感じていこうとするような星回り。
作者は室内にいて、窓の外の春の雲をながめている。目の前には鉛筆があるが、さりとてそれは今すぐ使う必要のあるものではない。本当は別のものを探していたら出てきた、かつての思い出の品なのかもしれない。
どこか時間が止まったような、停滞したものを感じさせる句ではありますが、「春の雲」はそんな気分をなだめたり、なにかをして打ち消したりすることもなく、ただ静かにゆったりとそこにある。
「ありて使わず」というマイナスの言葉遣いが、かえって「春の空」の奥行きというか、季語の持つ包容力を引き出すことに成功しているのは、作者はもちろん、それを鑑賞する読者の側もまた、そういう存在のありがたさが、少しだけ分かるようになってきたということの何よりの証左でしょう。
同様に、3月21日にやぎ座から数えて「心の基盤」を意味する4番目の星座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていくあなたもまた、あくせくと手や頭を動かすのではなく、時には何もしないでただそこに在る時間の豊かさにゆったりと浸ってみることの大切さを思い出していきたいところ。
ただたたずんでいることの難しさ
人間だと思って話しかけたら郵便ポストだった。そんな酔っぱらいの話をどこかで聞いたことありましたが、何らかの無機物を生命をもつ有機体、さらに意識をもつ人間と見間違える話としては、例えば宮沢賢治の『月夜の電信柱』が挙げられます。
改めて読んでみると、そうした見間違えを可能にしている条件は単に「大きさ」というより、「たたずみ方」なのかも知れません。びっこを引いたり、ふらふら頭をふったり、よろよろ倒れそうになったり、口をまげていたり…。門に予定調和的な光景や、それを構成している動きが予測可能なものばかりであるほど、私たちは逆に不自然さを感じてしまうように出来ているのです。
つまり、たたずみ方に何らかのゆらぎや崩れ、歪みのようなものがあって、かつそこに意図やわざとらしさが持ち込まれないとき、それが無機物であったとしても、この世でただひとつ、本当に予測できないものになって、「ただ在る」ということが可能になるのかも知れません。
今週のやぎ座のあなたもまた、どうしたって出てしまう癖や偏りをならそうとするのではなく、むしろそれを受け入れて活かしていくことがテーマとなっていきそうです。
やぎ座の今週のキーワード
でくのぼう