やぎ座
確かな手応えを求めて
義理をはたす
今週のやぎ座は、空に大きな弧を描いてボールを投げ返していく人のごとし。あるいは、「対話」を回復させるための精神的なスポーツに打ち込んでいくような星回り。
「われわれが心の底を友だちに見せることができないのは、ふつう、友だちに対する警戒心よりも、むしろ自分自身に対する警戒心である」と言ったのはラ・ロシュフコーでしたが、その意味で、友だちに悪口をいうというのは、やはり最大のサービス行為と言えるでしょう。
なぜなら、弱い人間というのは率直になれないものですし、率直さの伴わない悪口というのは悪口でさえなく、単なる自己顕示欲の現われでしかないからです。
そして、友情というのはある種のキャッチボールのようなものであって、一方だけが長くボールをあたためておくことは許されず、受け取ったら投げ返すのが作法と言えます。したがって、悪口を言われたら、悪口をもってこたえねばならない。それが友情であり、義理というものなのではないでしょうか。
3月3日にやぎ座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ずっしりと重い手ごたえのボールを投げ返すべく、自分自身に対する率直さを取り戻していくことがテーマとなっていきそうです。
語り尽くさないことで多くを語ること
江戸時代最大の劇作家・近松門左衛門は、『難波土産』(1738)の中で「芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜のあいだにあるものなり」「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、このあいだに慰みがあるものなり」と書きました。
つまり、あまりに直接的な事実だったり、余りにでたらめなウソばかりでは、人の胸には真実らしさとして迫ってこない、リアリティもない。虚と実との微妙な“あわい”にあって、起伏をつくり、その境界をあいまいにすることによって初めて、一抹の真実を含んだ芸術となり得るのだと説いた訳です(これは悪口にも言えることでしょう)。
それを体現している装置が、例えば人形浄瑠璃における「黒子(くろこ)」であり、慣れない最初こそ人形を操る黒子の存在は目障りで気になるが、やがて黒子によって人形に命が吹き込まれ、その演技がこちらの想像力を増幅させることに気が付いていくはず。
この表現法について、元田與一はこう述べています。「近松は『あはれなり』と書くだけで、あわれさが醸しだされると考えることの愚かさを力説」し、「描き尽くさないこと、演じ尽くさないことによって、逆に多くを語りだそう」(『日本的エロティシズムの眺望』)としているのだと。
今週のやぎ座もまた、実と虚のあいだに立ちつつ、どうしたら語り尽くさないことで多くを語ることができるのか、自分なりに試行錯誤してみるべし。
やぎ座の今週のキーワード
何かを人に伝えていくことの難しさから逃げないこと