やぎ座
暗い予感を研ぎ澄ます
ほの暗い水の底から
今週のやぎ座は、「春風や鼠のなめる角田川(すみだがわ)」(小林一茶)という句のごとし。あるいは、思いつく限り最悪の想定をして現実に備えておこうとするような星回り。
文化10年、作者が51歳のときの句ですから、すでに故郷の北信濃に帰って落ち着いてきた頃です。江戸に住んでいた頃を思って詠まれたものということは分かるのですが、それにしてはどこか暗すぎはしないでしょうか。
春風が吹く隅田川に風景に、「鼠(ねずみ)」が1匹どこからかちょろちょろと出てきて、川の水を舐め始めたというのです。ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃと、次第にその音は耳をとらえ、その音が広がっていく。まるで誰も止めることのできない心の奥底のつぶやきのように。
すっかり景色が春に変わって、すべてが何事もなく移ろいゆくかのように見えたなかで、ただ鼠だけが「そうは問屋がおろさないぞ」と、人生の悲惨を、この世の本質がどこにあるのかを示唆するかのようにそこにいるように感じられたのかもしれません。
実際、翌年結婚しやっと身を固めて落ち着いたかのように見えたのもつかの間、生まれてきた幼い子供をつぎつぎと失い、もうなめつくしたと思った辛酸をこれ以上ないというほどに舐めさせられたのです。
同様に、24日にやぎ座から数えて「死角/刺客」を意味する12番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、ここで改めてもう自分には不幸など訪れるはずがないという慢心やゆるみを引き締めておくといいでしょう。
暗渠のふたを開けてみよう
昔の江戸や大阪の街なんかには縦横無尽に水路が走っていたものですが、明治時代以降、日本はいろいろな意味でそうした捉えどころのない流動的なものに蓋をし、暗渠(あんきょ)にして埋め立ててきました。
時おり柵をこえて暗渠を冒険したり肝試しに繰り出す若者などはいるかも知れませんが、ふつうに生きて歩いている限りまず足を踏み入れることはないでしょう。
ただ、そうして平地的に生きていると、どうしても記号やお金などの近代的なシステムで動いているものを、自分のなかに固定させることが生きていくということになりがちなのですが、近代化以前の江戸に生きていた作者は、おそらく近代人にとっては閉ざされていた無意識の回路から流れ出てきたものを、もっと直接的に感じたのではないでしょうか。
水の流れにかすかに混じった心中のつぶやきに耳を傾けた一茶のように、今週のやぎ座もまた普段なら蓋(ふた)をしている潜在的な現実のレイヤーで何かが揺れ動いていくことに気が付いていくことができるはずです。
やぎ座の今週のキーワード
捉えどころのない流動的なものを身に宿す