やぎ座
ころころと、どこまでも
体験の触覚性
今週のやぎ座は、萩原朔太郎の「春の実体」という詩のごとし。あるいは、これはと感じたものの実体に直接触れていこうとするような星回り。
萩原朔太郎の「春の実体」は、良くも悪くも詩歌にあらわされてきた伝統的な桜のイメージを一変させてしまった作品の筆頭と言えます。
かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、/春がみつちりとふくれてしまつた、
げにげに眺めみわたせば、/どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
桜のはなをみてあれば、/桜のはなもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、/たとへば蛾蝶のごときものさへ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。
さながら印象派の画家スーラの光に満ちた点描画のようですが、その実体が「虫けらの卵」であるという触覚的な描写にこそ、朔太郎の独創があるのではないでしょうか。
詩の末尾の「よくよく指のさきでつついてみたまへ、/春といふものの実体がおよそこのへんにある」という一節などは、そのまま今週のやぎ座の人たちへの呼びかけのようにも感じられます。
21日深夜にやぎ座から数えて「まっすぐに向きあうこと」を意味する7番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ただ見ているだけではなく、直接触れたり、働きかけていくことを大切にしていきたいところです。
八方転びの玉のように
仏教の教えの中に「如意宝珠(にょいほうじゅ)」という霊験を表す宝の珠が出てきますが、これを宗教家の出口王仁三郎は「八方転びの玉」(『水鏡』)と言っていました。
つまり、人が来て、それに突き当たってころんでも、いささかの角もないために、人を傷つけることもなければ、わが身を傷つけることもない。そういう状態まで磨き上げられた人の心のことを言っているのでしょう。
もちろん、これは一つの理想ですから、最初から心が玉のような状態にある人などいませんが、そのつもりで外へと転がってみろ、と出口は言っているのです。
人の心は遠心的ですから、外へ外へと向かっていこうとするし、それを内へと引っ込めてしまえば狭い胸がなお苦しくなってきてしまう。だから外へ心を転がして、そこで何か思いがけない事件が起こったとしても、雨や風が吹きすさんでいるくらいに考えたらよい。本来そこで何が起こったとしても、あなた自身の価値が傷つけられることは一切ないのだ。そのことに気付くか気付かないかの違いだけなんだ、と。
今週のやぎ座は、そうした「惟神/かんながら(「神でいらっしゃるままに」「神として」の意)」に念頭に置いてから体当たりしていくくらいでちょうどいいでしょう。
今週のキーワード
佐保姫