やぎ座
身を委ねるべき運命の顔
※当初の内容に誤りがありましたので、修正を行いました。ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。(2021年1月25日追記)
終末の平穏
今週のやぎ座は、「運命の抱擁」という言葉のごとし。あるいは、劉慈欣さんのSF短編「月の光」の冒頭の一節。
普段は数百万の電灯やイルミネーションに溢れて月の光など見たこともなかった市民らが、中秋節に合わせ、ふと思ったって満月を愉しめるよう街灯を消してほしいとweb上で著名を集めて実現した一夜の話。
見通しは間違っていた。月の光に照らされた街は、彼らが思い浮かべていたような、うっとりする牧歌的な眺めではない。むしろ、見捨てられた廃墟に似ている。それでも彼は、その夜景を楽しんだ。黙示録的なムードが独自の美を醸し出し、万物の移ろいと、あらゆる重荷からの解放を体現しているように見える。運命の抱擁に身をゆだねて横たわるだけで、終末の平穏を楽しむことができる。それこそが、彼に必要なものだった。(大森望訳)
作者は長編SF小説『三体』の世界的大ヒットで現代中国SFを代表する人物ですが、あるインタビューの中で自身のSF観の根底に、人類が生存を続けていること自体が不可思議だという思いがあると述べていました。考えてみれば、人類だけでなく、他ならぬ私が生存し続けていることの不可思議、それもまた運命の抱擁なのではないでしょうか。
29日にやぎ座から数えて「サレンダー(降参)」を意味する8番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の身に起こっているそんな不可思議を楽しんでいく姿勢を忘れないようにしていきたいところです。
不可能性の時代を生きる
社会学者の大澤真幸さんは、現実の意味的な秩序の中心にはじつは「反現実」があり、戦後の日本社会というのはそのモードが「理想→虚構→不可能性」と転換してきていると整理した上で、1995年の地下鉄サリン事件などの一連のオウム事件を虚構の時代の果ての「不可能性の時代」の始まりとしました。
つまり、破壊的な暴力として現われた「現実」への逃避と呼ぶほかない現象(例えばリストカットのような自傷行為のような)が頻繁に見られるようになっていったという訳です。
この自分の生きる時間的・空間的な展望の超虚構化と、戦場や昨今の医療現場などの「現実」への接近との交叉は、しかしどこか「お釈迦様の手のひらの上で転がされる」という体験とも通底しているように思います。
今週のやぎ座はあえて「イルミネーションを消してみる」ことで、今現に私たちが生きている時代性を再確認した上で、自身が身を委ねるべき“運命”を少しでも浮き彫りにしてみるといいでしょう。
今週のキーワード
『虚構の時代の果て』