やぎ座
カッコ良くなくてもいい
そしらば誹れ
今週のやぎ座は、「死に下手とそしらば誹れ夕炬燵」(小林一茶)という句のごとし。あるいは、ジタバタしながら生きていくような星回り。
作者が60歳の頃の作。前年に次男を失い、この年に三男を得ましたが、後者は特に世間のうわさの種にはもってこいだったのでしょう。
自身の内部にも病いの不安があっただけに、そうした噂は随分とこたえたはず。作者には「人誹(そし)る会が立つなり冬籠(ふゆごもり)」という句もありましたが、掲句の場合は、自分のことを「死に下手」、つまりだらだら生きて生き恥をさらしていると陰口をたたく奴がいるのだと思って、手持ちぶさたの夕方にあれやこれや、むかむかしているときにできた句なのかも知れません。
つまり、居直りをするほど格好いい句ではなく、言いたければ言え、という幾分なげやりな態度が見え隠れしている。この作者のすごいところは、こういう自分を素直にひとつの句にしてしまえる懐の深さであり、諦めとか悟りとかいったものとは違う性癖的ところを晒せる思いきりのよさにあったのだとも言えます。
6日にいて座から数えて「受け入れるべき平凡さ」を意味する10番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者のような率直さをもって自分なりの生き方を見つめていきたいところです。
自分自身と出会っていく
愚かであることの定義はいろいろありますが、総じて当事者意識がない点は共通していると思います。ところが時に人は、ふっと自分が何者なのか、何をしているのかを誰かから教えられることがあります。
エリック・ホッファーは砂金掘りに出かけた冬に、モンテーニュを読んで「自分のことを書いている!」と思ったそうですし、同じことを松岡正剛は稲垣足穂の『男性における道徳』を読んだときに思ったそうです。
「これこそ自分だ」と思えるようなことを書いてくれている誰かと出会えたかどうかで、人は意識がガラリと変わっていくことがある。
今週のやぎ座は、そんな言葉の欠片をていねいに拾い集めていくこと。そして、それを今の自分と照らし合わせて、きちんと過不足を認識していくことが重要なテーマとなっているのだと言えます。
今週のキーワード
荒凡夫