やぎ座
理屈よりも確信優先
余剰エネルギーの活用
今週のやぎ座は、「窓の雪女体にて湯をあふれしむ」(桂信子)という句のごとし。あるいは、客観的な尺度とは別の、魂にぴったり重なるような等身大の豊かさを再発見していくような星回り。
「肉体俳句」という言葉があるのかどうかは知りませんが、思わずそう呼びたくなってしまうほど、その肉体の存在感が力強く迫ってくる一句。
ふつうは裸体よりは着衣のほうがエロティックな雰囲気は増すものですが、窓の外の冷たい「雪」を持ち出して内側のあたたかさと対比させるなど、あざとさを感じるぎりぎりのところまで来ている掲句には、そうした一般論など寄せ付けない力があるように感じます。
少なくとも、女でなければ絶対に詠えない世界というものがあって、湯船に浸っている肉体は丸みを帯びていなければなりませんし、湯があふれた際にそこで動いているのは男のたくましい腕ではなくて、女の細腕でなければならないのです。
それはみずからの身体性を受け入れつつもそれを持て余しているエネルギーの充溢の光景と見ることもできるのではないでしょうか。
22日にやぎ座から数えて「この世での乗り物」を意味する2番目のみずがめ座の始まりで木星と土星の大会合が起きていく今のあなたもまた、肉体であれ才能であれ好きなものであれ、一周まわって自分の手持ちの資産を最大限に活用していこうという機運が高まっていくはず。
小舟で釣りをするように
埴谷雄高はかつて『不合理ゆえに吾信ず』において「肉体をかこむかぼそい層の空間に眩暈のような或る不思議が棲んで」いると書きましたが、私たちは夜寝る前の意識がすとんと闇に落ちる寸前や、まだ自分がどこにいるのかも定かではない完全な覚醒前のひと時にそうした「かぼそい層の空間」を毎日繰り返し通過し続けているのではないでしょうか。
普段なら、そのこと自体をすっかり忘れて、あるいはまったく気付かずに生活している訳ですが、占星術的にひとつの時代の転換点を迎えていく今ならば、そんなほとんど息もできない薄く伸びた層に、さながら網でも張るように意識を添わせていくことができるはず。
そこに引っかかってくるのはすっかり忘れていた子供のころの喜びかも知れませんし、人生の途上でどこかへ投げやってしまった感覚だったり、肉体に深く刻まれた記憶の場合もあるはずです。
今週は小舟から糸を垂らして釣りをするように、アンテナを立てつつもあくまでのんびりと‟何か”が引っかかってくるのを待つようにして過ごしてみるといいでしょう。
今週のキーワード
不合理ゆえに吾信ず