やぎ座
自然体で生きる
生き物の本質としての無名性
今週のやぎ座の星回りは、無名の人生への接近。あるいは、「自分の人生の主人となる」ということを見直していくべし。
「卓越した才能」とか、「他の人にはない個性」など、滅多にあるものではありませんし、そもそもすべての子供には固有の才能が隠されていて、それを引き出して輝かせてあげなければならない、などというのは戦後民主主義教育の欺瞞という他ないでしょう。
なぜなら、人間はみな大差のない存在であって、人に抜きん出る必要など本来ないからです。よく言われる「自己実現」というのも、高い社会的地位を得たり、人気が出て、成功することをそう言っている訳ですが、それは「有名になる」ことや「お金持ちになる」ことに囚われ、社会が用意した価値観に左右されているだけです。
もちろん、そうした価値観から外れたところにだって努力の積み重ねは求められます。けれど、ごく平凡に、無名のまま努力をしていくことは、つまらないことでも、虚しいことでもありません。
逆に、無名であっても、平凡であっても、いろんな苦しみ、哀しみ、そして見苦しい自分というものに耐えたり、のた打ち回って、それでいながら煩悩を隠さずに生きることの方が、よほど「自分の人生の主人となる」ことに近いように思います。
30日にやぎ座から数えて「自己規律」を意味する6番目のふたご座で月蝕の満月を迎えていく今週のあなたもまた、どちらの方向へ向けておのれを律していくべきか、改めて問い返しみるといいでしょう。
「自然体」というハードル
一方で、例えば「整体」という言葉が普及するきっかけをつくった野口晴哉は、自然に生きるとは何も獣のように山野を駆け回ることにあるのではなく、「白い飯を赤き血にして、黄色き糞にしていく」そのはたらきにこそあるのだと言っていました。
生の食べ物を食べても、生水を飲んでも、海で泳いでも、森の中に入ってもそれが自然なのではない。人間という集合動物が街をつくり、その中に住んでいたって決して不自然ではないのだ。ただその生活のうちに生の要求をハッキリ活かすよう生くることが、生くる自然であることだけはハッキリしておかなければならない(『月刊全生』)
身の内にある“よりよく生きる要求”すなわち自然の言うことを、きちんと聞いていくこと。
それこそが「自然体」ということの本来の意味であり、自然を見失い、才能や個性や自己実現といった不自然な価値観に囚われてしまった私たちにとって、もっとも高いハードルとなっているのかもしれません。
今週のキーワード
美しいアイデンティティのかたち