やぎ座
自負を描く
社会的現実と内なる自負
今週のやぎ座は、「汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す」(竹下しづの女)という句のごとし。あるいは、いかんともしがたい現実に強烈な自負をぶつけていくような星回り。
作者は、大正期の女流黄金時代をつくった俳人のひとりで、教員生活をした後、2男3女を儲けて育児の傍ら句作に励んでいった人。掲句をつくった当時は、福岡県立図書館に勤務しており、「鈍の男の群」とはそこでの職場の同僚の男性たちのことでしょう。
図書館での仕事をまるで畑での野良仕事のように表現し、同僚らを汗の匂いがきつい鈍重な家畜の群れのごとく描写していますが、そこには自分は女一人であっても、彼らには負けていないのだという強烈な自負が感じられます。
彼女の作品は、その経歴にも現れているように、確かな教養に裏打ちされた理知的な手法で女性の自我や自立を詠ったものが多いのですが、特に掲句には円熟期を迎えつつあった彼女の生き様とその来歴とがたっぷりと込められているように思います。
6月13日にやぎ座から数えて「実存の感覚」を意味する3番目のうお座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、「これでこそ私なのだ」という一つのスタイルを外部に刻印していくことがテーマとなっていきそうです。
肖像と額縁
19世紀の哲学者アミエルの日記に、次のような一節があります。
「五十歳までは、世界はわれわれが自分の肖像を描いていく額縁である。」
そうだとすると、私たちは人生のほとんどを本体である絵ではなくて、脇役であるはずの額縁づくりに費やしていることになる訳ですが、これは案外その通りであろうと思います。
というより、絵を描いてから額縁を探すのではなくて、絵を納めることになる額縁=人生のアウトラインや大枠が定まってきて初めて、絵すなわち人生という物語やその内的意味を語っていくことができるのではないでしょうか。
掲句が収録された句集が刊行されたのも、作者が五十を過ぎてからでした。
幸か不幸か、現代という時代は竹下しづの女やアミエルの生きた時代と比べても、いかんともしがたい現実にぶつかる機会は減ってはいないでしょう。
今週のやぎ座は、よくよくこれまでの自分がどんな「アウトライン」を作ってきたのか、そして、そこからどんな物語を紡ぎえるのか、じっくり考えてみるといいでしょう。
今週のキーワード
物語を引き立たせるものとしての前半生