やぎ座
求めるべき対象を定める
誠と敬
今週のやぎ座は、朱子の説いた「敬」の思想のごとし。あるいは、改めて、客観的ないし具体的な研究対象を求めていくような星回り。
12世紀南宋に生まれ「新儒教」の朱子学の創始者となった朱子には「敬」の思想というものがありますが、それは普通の意味での「尊敬」のことではなく、ある種の心の覚醒状態のことを指し、主観的な誠意とは全く異なるものでした。
日本人がもっとも好む徳目の筆頭はこの「誠」の方であり、誠実に生きることや、人に誠意をもって接することに、最も高い価値が置かれています。
ただ恐ろしいことに、人は誠を貫くために嘘をつくこともあれば、人を殺すことだってできる存在であり、誠意の名に基づいて、しばしば前提や方向性を顧みないで行われた行為がすべて許されてきたという側面も無視できない事実でしょう。
朱子学における「敬」とは、まさに心が主観的で恣意的になってしまうのを防ぎ、自己を客観化する働きのことを言っていて、その根底にあるのは、この世を支配している何らかの理(ことわり)への畏敬の感情でした。
出来事であれ人物であれ、あくまで客観的な対象として研究し、背後の理を知るに至る方法論が「敬」だった訳です。
4日(月)にやぎ座から数えて「人生の中の蝕知可能な面」を意味する2番目のみずがめ座で上弦の月(根張りの時)を迎えていく今週は、ひとつ自分なりに追求していくべき対象を定めていくといいでしょう。
健康という副産物
朱子が弟子の問いに答えて述べた『朱子文集』には、
「心がいつも敬の状態にあるならば、肢体はおのずと引き締まり、なにも意識しないでも、肢体はひとりでにのびのびします」
とありますが、これを読むと彼の言う「敬」とは「こだわりのない平常心」のことでもあるということが分かってきます。
「心の全体があまねく流動して、行き届かないものはなにもない」状態とも述べており、これはフィジカル&メンタルな意味での健康に限らず、ソーシャルないしスピリチュアルな健康という概念まで含んだものであるとも言えるでしょう。
毎年のノーベル賞フィーバーとは対照的に、科学研究に対する国からの助成金やその質の低下がようやく問題視されるようになってきました。
どこかの研究機関に属するアカデミシャンに限らず、何かを真摯に研究していく精神やその喜びをいかに取り戻していくことができるかという課題は、今週のやぎ座に限らず、現代日本が抱える焦眉の問題でもあるように思います。
今週のキーワード
格物致知(かくぶつちち)