やぎ座
暗闇のなかの歩行
ダンジョン(地下迷宮)を探索せよ
今週のやぎ座の星回りは、漆黒の夜の闇のごとし。あるいは、等身大の身体性のみを信じて道を行くこと。
例えば、フィクション作品において描かれる「別世界」というのは大抵の場合、真っ暗で見通しがきかなかったり、狭くて曲がりくねっているなど、その道行きはさながら長くて先に光が見えないトンネルのようです。
そして、そこを通り抜けていくためのサバイバルは、私たちが普段の世界で少なからず行っている「客観的に自分を把握する」ことを許されないという制限のもとで障害を克服し、生き残ることを目指して試行錯誤を余儀なくされていく体験を意味します。
つまり、ダンジョンというのは、社会的地位だとか、周囲と比べてどうだとか、そういったことは一切意味を持たない世界なんです。そういう世界に身を置いていると、自分の外へと意識を立たせることができないため、次第に自らの等身大の身体性のみを意識せざるを得なくなっていきます。
他人から見えている自分であるとか、頭で考えて思い描いた自分といった客観的な尺度とは別の、等身大と言うしかない自分を再発見することこそが別世界におけるイニシエーションの鍵であり、それはそのまま今週のやぎ座のテーマとも言えるでしょう。
22日(日)に満月から徐々に光が欠けていく今週は、いまの自分の「身の丈」というものをひとつひとつ確かめるようにして地に足をつけていきたいところ。
ダンテの地獄めぐり
例えばダンテの『神曲-地獄篇』では、実際に作者の分身である主人公が、地獄の底で内なる対話を交わしつつ、少しずつ手探りで歩を進めていきます。
「ひとのいのちの道のなかばで、
正しい道をふみまよい、
はたと気付くと、漆黒の森の中だった。」
「道半ば」というのが具体的に何歳くらいのことを指しているのか定かではありませんが、きっと人生は折に触れてそれまでの生き様を振り返りっていく機会が与えられるように出来ているのでしょう。
『神曲』を執筆した当時のダンテも、政治抗争で敗れ故郷フィレンツェを追われた孤立無援状態でしたが、そこで自分の半生を振り返りつつ文学史上に不朽の名声を轟かすことになる畢生の大作の執筆を始めたのですから、人生何がどう転ぶのかは最後まで分からないものです。
今週のあなたもまた、そんな人生の岐路にふと差し掛かっていくかもしれません。くれぐれもそこで腐らず、暗い胸の闇路をとことん辿って、とことんまで余計に入った力の緊張を叩き出してやるくらいのつもりで行くといいでしょう。
今週のキーワード
六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり。