やぎ座
失望こそ智の源泉
失望することを恐れない
今週のやぎ座は、どこかしら香ばしさが感じられる「失望」のよう。あるいは、智は悲によってその力を発揮していくのだと気が付いていくような星回り。
「失望したよ」などともし誰かに言われれば、傷つくであろうことは必至であり、ゆえに「失望」そのものもあってはならないことのように扱われがち。
ですが一方で、きちんと失恋をして年を重ねてきた人がどこか魅力的であったりするように、失望ってそんなに悪いもんじゃないよね、というのが今週のやぎ座の人たちに伝えていきたいことです。
これは分かってる人は分かっていることですし、野暮を承知であえて書きますが、失望の後には期待する気持ちが残るというか、自分にもそういう気持ちがあったことにどうしたって気付かされていく訳です。
そうして、「これも叶わなかった、あれも実現しなかった」といった小さな失望が積み重なっていった総和が、じつは実現したこと以上の期待的な世界像をつくりあげていく。
ただ、そういうオルタナティブな世界像というのは、いきなり「全体」から語ろうとすると大抵うまくいかなくって、欠けた「破片」や「断片」に出会っていくことでビビットに感じられてくる。
で、そういう破片や断片というのは、失望とともにある残骸なんですよね。
占星術上の元旦である春分を迎えていく今週は、まずもってそうした失望と直面していくことを恐れず、自分なりの失望の感覚から見えてくる望ましい世界像とは一体どんなものなのかということについて、改めて考えを深めていきたいところです。
大拙の「悲」
失望の大切さということについて考える時、個人的に思い出さずにはいられないのが、禅の思想を世界的に広めた鈴木大拙の
『智は悲(慈悲)によってその力をもつのだといふことに気づかなくてはならぬ。本当の自由はここから生まれて出る』(『人間本来の自由と創造性をのばさう』)
という言葉です。彼は続けて次のように述べています。
「少し考へてみて、今日の世界に悲―大悲があるかどうか、見てほしいものである。お互ひに猜疑の雲につつまれてゐては、明るい光明が見られぬにきまってゐるではないか」
彼は、宗教の役割を「力の争いによる人類全滅の道」から救うことにあると考えていましたが、それは現代人が智と悲を分離してバラバラにしてしまったことと大きく関係しているとも考えていたようです。
彼の述べている「悲」とは、言うなれば残骸としての失望に他ならないのではないでしょうか。
失望を悲にかえ、そうして練り上げていった大悲から智を紡ぐ。そういう姿勢を、今このタイミング改めて整えていきましょう。
今週のキーワード
「智は悲(慈悲)によってその力をもつのだといふこと」