やぎ座
瓦礫を薪木にかえて
精神の死としてのイベント文化
今週のやぎ座は、文化をひとつの「妥協」と見なしたベルジャーエフのごとし。あるいは、精神の炎を燃やし爛々と光らせていくような星回り。
20世紀前半、ソ連からロシア共和国への急激な変化の中でロシアは政治・経済的には混乱の極みにありましたが、その底流にはつねにかの国の芸術や文化の根っこを形づくっていたロシア正教の影響やある種の霊的感受性と言うべきものの影響が存在していました。
例えば、同時代に西欧で活躍したロシアの思想家ベルジャーエフは著書の中で
「文化はひとつの妥協にすぎない。精神が客体化されて、この地上の世界と妥協するのである」(『孤独と愛と社会』1934年)
と述べています。
これは一見奇異に聞こえる考えではありますが、そこには過度に西欧化された教会や、文化全体に対する強い批判が込められており、こうした彼の批判は現代を生きる日本人の文化観にも鋭く突き刺さり、ひいては今のあなたが抱えている問題意識にも繋がってくるのではないでしょうか。
恋愛や結婚でさえ、海外から輸入された「文化」に価値が与えられ、イベント文化を自明のものとしている今の日本社会を生きていると、文化は単に形骸化された妥協に過ぎないという彼の主張にも同意せざるを得ない部分が出てくるはず。
「(制度化された)大学、研究所など、精神の死以外のなにものでもない」といった主張となるとさすがに付いていけない人も少なくないかもしれませんが、自分の中の固定観念に改めて風穴をあけようとしている今週のあなたにとっては、ベルジャーエフの真摯な過激さに触れていくくらいが今はちょうどいいように思います。
火をくべよ
ベルジャーエフによれば、文化をつくるのは精神ですが、彼の場合、それは創造的な霊的な主体といった独特な意味が込められており、例えば「精神とは何か。火である。精神の行う創造は芯の芯まで灼熱している」などと描写されていますが、これなどはある種のロシア独特の宗教性と言っていいでしょう。
また、彼はこうも言っています。
「主体的なものは客体的なものの中に姿を消す。無限なものは有限なもののなかに見失われ、火は冷却した鋳物となって消えてしまう」
だとすれば、新たな文化を起こすとは、すなわち火を起こすことであり、それが消えないように精神の炎を燃やし続けることに他なりません。
火を燃やせ。薪木がなければ家具を壊して火を付けよ。家具がなければ代わりを探して、すべてくべよ。
今はそれくらいのつもりでいきたいところです。
今週のキーワード
一切の妥協を排する