やぎ座
<私>を発見していく
まるで力を入れずに
今週のやぎ座は、ごつごつとした岩のごときものが、すべすべの丸石へと変わっていくような星回り。すなわち、凄い自分になるために、特別凄いことをしようとしなくてもいいんだなって、気づいていくこと。
丸石というのは、いきなりどこかからポンと生まれてくるのではなくて、河原でごろごろごろごろやっているうちに、だんだんと時間をかけて丸くなっていったものを、人間の側で見つけることによって手に入ります。
そう、丸石はどこかの時点で「あっ」と思って、発見されていくんです。
赤瀬川原平さんという前衛芸術家が、かつて「芸術って別にものを作らなくてもいい。すごいものを見つければいい」ということを言っていました。
実際に街をフィールドワークして、意味のない階段、どこへも繋がっていない扉など、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。
その役に立たなさ、非実用性において芸術を超えた存在。さながら異世界に通じる呪物のようなものを「発見」していきました。
今週のあなたもまた、肩の力を抜いて何気なくその場にあるものにびっくりしたり、その意味をどこか別のところへと運んでいくことに尽くしていくべし。
鬼気迫るかの勢いで
批評家の安藤礼二は、江戸川乱歩は作品を書くことによって「女」になろうとしていたし、そのために「私」を徹底的に分断して、自らの想像力のみを駆使してまったく新しい理想の「女」として再構築していったのではないか、と指摘しています。いわく、
「女になること。その場合の女とは、肉体的な現実をもった女ではない。乱歩の「女」とは、生物学的な「差異」でも、制度的な「差異」でもない。逆にその「女」はさまざまな「差異」を生み出す地平、絶対的な「官能性」とでも名づけるほかない領域に存在する。それは森羅万象のすべてを官能として受容する純粋な感覚世界の新たな想像であり、その感覚の全面的な解放である。」(安藤礼二、「鏡を通り抜けて 江戸川乱歩『陰獣』論」)
乱歩ほど徹底的に実行できるかはさておき、今週のあなたにもまた、「私」を再構築することへの鬼気迫る情熱のようなものを感じてなりません。
自分が制度や生物学的な分類を超えたところで、一体何を望んでいるのか。その夢想の根底へと一歩ずつ、しかし着実に歩を進めていくことです。
今週のキーワード
自分を自分で発見していくということ