やぎ座
自立のために礼を厚くする
今の自分に必要なものは何か?
今週のやぎ座は、転ばぬ先の杖ではなくて、自分をいたわってくれる処方箋をこそ求めていくような星回り。あるいは、つらい心をなんとかするために「礼」を取り入れていくこと。
うまくいかない現状をどうにかしようとしていると、他の人は「〇〇してはいけない」とか「××しなさい」といった命令文や禁止文をまじえて転ばぬ先の杖をくれようとします。けれど、転ばぬ先の杖の問題点は、事前にそう言われてもなかなか実感が湧かないところ。で、結局また失敗したり、何も変わらなかったりする。
その意味で、今週のあなたがまず認識していかなければならないのは、現実のなかで苦しんでいる心が必要としているのは、開いた傷口をふさいで、今度こそ転ばないような方法を提示してもらうことであるという点でしょう。
まず「恭」から始めよ
例えば今から2500年前の時代を生きた孔子は、苦しい心に役立つのは「礼」であると述べました。
「礼」というと、どこか無理やりやらされる形式的なやりとりのことをイメージしがちですが、もともとは神霊と交信する業のことを指していたのだとか。
もう少し具体的に見ていくと、孔子は「恭にして礼なければ則ち労し」という言い方をしています。つまり、「恭(うやうやしさ)」も礼がなければ「労(心労)」になってしまうと。
うやうやしさと聞くと、慇懃無礼なまでに丁寧に他人に振る舞う姿を思い浮かべてしまいますが、これも孔子の考えとはまったく違っているよう。
そもそも「恭」という字は古い字体では「共」の上に「龍」を重ねたものだったそうで、「共」は両手で何かを持ち上げることを意味し、「龍」は中国では王の象徴であり、龍身は聖なる自己を意味しましたから、「恭」とは自分のことを龍のように見なし、地位や名誉や金銭ではなく、ただ自分の手で持ち上げて立たせることを意味したのです。
ここで「礼」とは、何よりも自分自身を「立たせる」ことであり、それは例えば自分自身を聖なる存在として扱って大切にすることだったのです。そうした自分に対して「恭」で接するクセができている人が、他人に対しても自然に同じことができたとき、それを「恭しさ」と呼んだ訳ですね。
今週は改めて、自分への「恭」から初めてみてはいかがでしょうか。
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