
かに座
ムーブメントのきっかけは

「豪雨底なく」の一工夫
今週のかに座は、「萍(うきくさ)に豪雨底なく湛へけり」(前田普羅)という句のごとし。あるいは、そのままでは手からこぼれ落ちていくような想いや気付きをどこかに書き留めていこうとするような星回り。
一読してまず浮かぶのは、水面を漂う浮き草に、容赦なく降りしきる豪雨の情景。しかし「豪雨底なく」という中七の語順の工夫は、掲句を単なる自然描写にとどまらない奥行きと余情を与えているように思います。
もしこれが「浮き草に底なき豪雨湛へけり」であったならば、意味としては通りやすいですし情報の伝達という点では明瞭でしょう。しかし、それだとあまりに説明的で、情景の進行や余韻、何より作者の感情の盛り上がりが抑えられてしまう。だからこそ、あえて「豪雨底なく」としたわけで、そこで読者の意識は一瞬空白の中に放り出されていきます。
つまり、「底なく」とは何が?どこが?と感覚が宙づりになる。そしてその後に来る「湛へけり」でようやくその「底なしの豪雨」が浮き草に湛えられていたのだと、認識が結ばれる。このわずかな時間差こそが、句全体に余白と深みを与えてくれるんです。
根を持たず水面を漂う浮き草と、天から無尽蔵に降りそそぐ豪雨のコントラストによって、浮き草の儚さや脆弱さが際立つと同時に、小さな浮き草に注ぎ込まれる宇宙規模の力のはかり知れなさをも感じとることができるはず。その意味で、掲句は自然に一場面に宿る永遠性と、儚きものの存在感とを二重に浮かび上がらせた秀句と言えるでしょう。
6月17日にかに座から数えて「エクリチュール」を意味する3番目のおとめ座に火星が移っていく今週のあなたもまた、これを機に想いを形にしてみる工夫や努力に努めてみるといいかも知れません。
ブルースの走り
ここで思い出されるのが、W・C・ハンディの作曲エピソードです。ブルースを譜面の形で本格的に広め「ブルースの父」と呼ばれたハンディは、1903年の米国南部ミシシッピ州の町はずれのとある鉄道交差点で深夜に汽車を待っていたときの体験をもとに、「イエロー・ドッグ・ブルース」という曲を作ったとされています。
旅の途中だったハンディはいつまでもやってこない汽車を待ちつつ地面に座り込むうち、いつの間にか居眠りをしていたそうですが、不意にギターのかすかな音で目が覚めると、つづけて痩せてみすぼらしく老いた黒人の歌声が聞こえてきたのです。
さあ行こう、南部の鉄道がイエロー・ドッグ線と交差するところへ
当時の黒人労働者たちは南部の鉄道網を唯一の移動手段として利用しながら生きていたわけですが、そうした移動感覚や交差感覚は、やはり旅の途上で耳にした老人の「ブルース」を元にした曲を譜面に落とし、それが各地のミュージシャンのあいだに広まり、彼らの手から手へ、口から口へと音や歌が伝わる形で、ブルースという深いリアリティを湛えた人の営みはムーブメントとなって広まっていったわけです。
その意味で、今週のかに座もまた、頭で考えた計算や意図を超えたところで、自然に伝わっていくものをこそ、大事にしていくべし。
かに座の今週のキーワード
深い交差感覚





