
かに座
チューリップ狂騒曲

宙に浮いたチューリップ
今週のかに座は、「空港で鞄にすわるチューリップ」(田中裕明)という句のごとし。あるいは、理性を鎮める代わりに想像力を全開にしていこうとするような星回り。
一読して不思議な印象を受ける句です。というのも、「チューリップが鞄にすわる」ことは起こりえないわけで、じゃあ鞄にすわっているのはいったい何か、そしてチューリップはどこにあるのか、ということが宙に浮いたままなのです。
解釈としては、①誰かの色合いや形などの外見的印象を読み替える比喩としてチューリップが用いられている場合、そして②チューリップが物理的に存在しており、鞄の上か鞄の中で押し潰されているような場合。それから、③物理的にも存在せず、直接的な比喩でもない場合の大きく3つが考えられます。
①は句の語順をそのまま受け取ったものですが、あまりに説明文的で面白くはありません。
②なら、空港の‟慌ただしさ”や‟余裕のなさ”で、チューリップの色鮮やかな美しさや儚さが損なわれているような哀感が読み取れますが、いまいちしっくりきません。では、③ならどうでしょうか。
たとえば、空港という無機質な空間のなかで、作者が不意に感じとった一瞬の「生命の兆し」や「新しい季節の明るさ」をチューリップに読み替えているのだとも考えられますし、空港で鞄に腰をかけつつ、長らく誰かを待っている仕草から感じとられた「やさしさ」や「無垢な気配」がチューリップに重なったのかも知れません。
しかしいずれの読みも、句の開かれた構造(や現実と夢のあわいを漂うような場としての「空港」)によって許されており、作者はチューリップの在り処をあいまいにすることで、読者の想像力を刺激しようとしたのでしょう。
5月4日にかに座から数えて「本能」を意味する2番目のしし座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、はっきり分かりようのないことをお酒を片手に想像を巡らしていくくらいの余裕をつくっていくべし。
いっそ大それた試みを
たとえば、11世紀ペルシアで多くの分野で偉業を遺した学者オマル・ハイヤームの遺した詩集『ルバイヤート』(小川亮作訳)もまた、チューリップや糸杉への言及から始まったものの、やがてそれが「われら、いずこより来たりて、いずこへ去っていくのか」という悠久の謎に対する回答へとつながって、挑発的かつ大らかなな言葉の数々で埋め尽くされていました。以下に、そのうちに幾つかを引用してみましょう。
今日こそわが青春はめぐって来た!酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。たとえ苦くても、君、とがめるな。苦いのが道理、それが自分の命だ。
新春!雲はチューリップの面に涙、さあ、早く盃(さかずき)に酒をついでのまぬか。いま君の目をたのします青草が明日はまた君のなきがらからも生えるさ。
さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、チューリップのような美女によろこべ。世の終局は虚無に帰する。よろこべ、ない筈のものがあると思って。
こうして詩人はたびたび飲酒が堂々とすすめるのですが(ハイヤームの生きた国は禁酒国)、一方でチューリップの花も頻出してくることに気がつきます。そもそもチューリップの原産は中央アジアからペルシア高原であり、「チューリップ(ラーレ)」という語は「燃えるような愛」や「恋の情熱や痛み」、「神の愛による傷と血」を意味し、チューリップはしばしば「神の愛に焼かれた魂」の比喩として用いられました。
ハイヤームの生きたのは政治的な混乱期であり、多くの困難や苦労に見舞われることの多かった時代でしたが、だからこそこの詩人は「ラーレのように咲き、血のように散る」ことを最上の生き様と見なしていたのかも知れません。
今週のかに座もまた、ハイヤームまでいかずとも、知らず知らずの内にはまりこんでいた常識や思考の枠組みをエイヤと踏み越えていくだけの勢いが不思議と湧いてくるはずです。
かに座の今週のキーワード
「酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。」





