かに座
昏いものに突き当たる
世の習い
今週のかに座は、「初空や大悪人虚子の頭上に」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、善良な小市民としてのセルフイメージなぞどこかに投げ捨てていくような星回り。
昔なら聞き流されていたようなSNSへのちょっとした投稿がタイミング次第で大炎上することも珍しくなくなった今の世の中でさえ、なかなか自分のことを「大悪人」などと自称してはばからない人間はそうそういないのではないでしょうか。
作者は明治期には総合文芸誌として、大正・昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った雑誌「ホトトギス」を拠点に俳句を大衆文芸として定着させた大立者であり、俳句の詠み手としてだけではなく選者や宗匠として多大な影響力を有し、また小説家や編集者としての顔を持っていた多彩な人物です。
とはいえ、社会や業界のなかで大きな役割を果たす人ほど毀誉褒貶(きよほうへん)が激しいというのは世の常であり、作者の場合もやれ権威主義が鼻につくとか、弟子を個人的な感情で粛清したとか、俳句を稽古事に貶めたなど、さまざまな誹りを受けていたのでしょう。
しかし、悪評の理由などというものも突き詰めていけばその影響力の大きさや無視できなさの裏返しに他なりません。そういうことをよく分かった上で、作者はあえて善良な小市民としての生き方ではなく、みずから「大悪人」としての生き方を選び、受けて立つぞという姿勢をここで示してみせたわけで、実際作者のそういうところに魅力を感じていた人も多かったはず。
1月7日にかに座から数えて「社会的自己」を意味する10番目のおひつじ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、いい加減自分の「悪人」ぶりを認めて、いっそおおっぴらに示していくといいでしょう。
血によどんでいるもの
ここで思い出される別の一句があります。世阿弥が使ったといわれる「阿古父尉(あこぶじょう)」の面など、能関係の品物が多く奉納されている奈良県の天河神社の境内の句碑には、「能の地の血脈昏き天の川」(角川春樹)という句が刻まれているのですが、ここで読者はそういう由緒正しき場所に、作者はなぜ「昏き血脈」というイメージを重ねたのかと疑問に思うかもしれません。
ただこれは、そんなに難しい話ではなくて、長い歴史が積み重ねられていれば、そこには必ずバイオレンスとエロティシズムが存在するのだという作者の直感が働いた結果でしょう。
その点、私たちはみな誰しもが、親や祖父母といった肉体上の血脈にしろ、自分がしている仕事の業界だったり属している流れの系譜にしろ、世代間の蓄積の上に立っている訳で、さかのぼれば必ず昏い部分に突き当たっていくはず。
今週のかに座はそういう部分に目を背けたり覆い隠すのではなく、むしろ血脈によどんでいるものに感応していくことで、マグマのような熱いものを自分の内側から溢れさせていくことがテーマとなっていきそうです。
かに座の今週のキーワード
「芸術には、すべてを通じて、血統というものがある」(エッカーマン)