かに座
理解など捨てていけ
諧謔味のある風景
今週のかに座は、『梵妻を恋ふ乞食あり烏瓜』(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、低俗的であることを辞さず、むしろよりいっそう「低俗」に分け入っていこうとするような星回り。
「梵妻(ぼんさい)」とは僧侶の隠し妻のことで、それをよく寺の境内にも入ってきたり、寺がある辺り一帯を徘徊しているような1人の乞食が恋い慕っているというのです。
これだけ言われてしまうと、どこか生々しい想像をかき立てられて、どうしても不倫だとか醜悪といった言葉が浮かんできてしまいますが、掲句には一概にそうしたレッテルでは片づけられないようなあわれさが漂っているように思います。
そして、そうした湿っぽい情趣を緩和してくれているのが、熟して黄や赤に色づいた「烏瓜(からすうり)」という、どこか古びていて落ち着いた感じのする自然物の配合です。
しおれて水気がなくなった草木にも、おのずと枯淡とした深みが出てくるように、梵妻を慕う乞食にも、若者らしい恋心でもないし、かと言って厭らしい下心にもカテゴライズできないような、一般的には名前のついていない感情を抱いてしまうことがあって。案外、そういう思いや関わりこそ、ありがたい仏の教えなどよりよほど人びとを救っているのではないか。と、ついついそんな諷刺性さえ読み取りたくなってしまう句でもあります。
同様に、10月17日にかに座から「巷間」を意味する10番目のおひつじ座で十三夜の満月(解放)を迎えていく今週のあなたもまた、乞食のように恋い慕うのであれ、梵妻の側に回るのであれ、自身の中にもよく分からない情念があることを改めて実感していきやすいでしょう。
理解は後からそのうちやってくる
現代社会での議論というのは、どうしても特定の言葉を押さえれば理解できるという具合に「キーワード化」されていく傾向がありますが、橋本治によればこうした考え方が浮上してきたのは1980年代半ば頃のことだったそうです。
結果的にそれは「ネットで検索すれば何でもわかる」という考え方が普及していくための布石となった訳で、それから40年近く経った今や、私たちは自分自身や他者を安易にキーワード化していくことにも何ら抵抗感がなくなってしまったように思います。
ただし、先の句のようなふるいにかけにくい関わりやそれに付随して生じてくる思いは、「もういい年なんだから」といった年齢という記号に基づいた紋切り型のラベル貼りでは、なかなか処理に苦労する訳で、そういう経験というのは気を付けてみると意外とよくあるものです。
その意味で、今週のかに座もまた、自分自身を含めて何かを「簡単に分かろうとする」ような惰性的な知性の使い方にいかに見直しをかけていけるかということが問われていくでしょう。
かに座の今週のキーワード
理解などなくても共感はできる